takE’s diary

テリー・ホワイトの感想を書きます

ギリギリで生きていたいから『リトル・サイゴンの弾痕』

Tightrope 原題の意味は〈綱渡りの綱〉高いところにある1本の綱を渡っていく、危険を犯す行為のことだ。危ない橋を渡るとき──1人で渡る?それとも誰かと共に?この話は『刑事コワルスキーの夏』の続編になるので、先にそちらを読んでから読むことをオススメする。

あらすじ(初版1987年)

クリスマスが近づきサンタが闊歩するロサンゼルス。カフェを経営するヴェトナム難民の男が殺害される。さらに数日後、売春婦の死体。スペイスマンとブルーは2つの遺体の共通点に気づき、同一犯と睨み捜索に乗り出す。

元米軍中尉・特殊部隊にいた男ラース・モーガンはロサンゼルスで目的のモノを手に入れるためヴェトナム時代の仲間を訪ねる。写真家のデヴリン、セックスで稼ぐトビアス。今度の仕事は一人でやるには危険すぎる。

移民、難民、退役軍人、80年代アメリカ。戦争を続ける男の物語。

 

前回の事件から6ヶ月近く経ち、すっかり距離が縮まったスペイスマンとブルー。互いのプライベートをちょっぴり心配しながら、二人の心地よい会話の掛け合いを見ることができる。今回の話は、犯人組に今までの作品にはいなかった新しいタイプのキャラクターがいることが読んでいて非常に面白く、楽しい。人物紹介はこちら。

 

刑事:スペイスマン・コワルスキー

長い間殺人課に勤務しているので顔が広い。新しい恋人ができた!息子との心の距離をなんとかしたい。文句があるとブウブウ言い出す。車はよく故障する。

 

刑事:ブルー・マガイア

夜毎かかってくる謎の男からの電話に悩まされる。いまだに女性とうまく付き合えない。毎晩いい酒を飲む。車はポルシェ。

 

犯人:ラース・モーガン

元米軍中尉。おそらく40代。身長約178cm、くすんだブロンドの髪に灰色の瞳、オハイオ州クリーブランド出身。感情の起伏が激しい、常に銃を持ち歩き躊躇いなく人を殺す。3人のボス。

デヴリンのことは信頼し心を許せる友だと思っている。トビアスのことは好きだが腹の中をみせない奴だと思っている、だがそれがトビアスの良さとも理解している、時々「坊や」と呼ぶ。

背の高い化粧の濃い女が好き。車はレンタカーのフォード

 

犯人:デヴリン・コンウェイ

元UPI通信特派員、写真家。おそらく30代後半。背が高く、黒っぽい髪に空色の瞳。育ちの良いオーストラリア人。愛称はデヴ、デブじゃない。

危険な状態でも「カメラを持ってこればよかった」と思う男。ラースとは女を選ぶゲームを一緒にする仲。基本優しい、一般人。

背の高い品のある女が好き。車はポンティアック・ルマン

UPI:アメリカの巨大通信社、日本人カメラマン沢田教一も所属しベトナム戦争の写真でピューリッツァー賞を受賞している。1985年事実上倒産。

 

犯人:トビアスリアダン

元米軍軍曹。36歳。ラースよりちょっと背が低い、褐色の髪にハシバミ色の瞳。みんな大好きオクラホマの男。愛称はトビー。レイバンのミラーサングラスをかけている。

相手が望むセックスプレイを提供し、金を稼ぐ。顧客は金持ち女性。服装や生活にこだわり、「違いのわかる男」が売り。

ラースのことは疑いながらも尊敬している。

女はもういい、犬が好き。車はロールスロイスのフロントを取り付け改造したフォルクスワーゲン

 

ヴェトナム戦争を経験した男達が入り乱れるこの話は、80年代ロサンゼルスがどんな人種構成になっていたのかを知る機会を与えてくれる。訳者:橘雅子のあとがきに

1982年現在、白人の住民は半分弱で、3人に1人がスペイン系、10人に1人がアジア系

と書かれている。そのありようが非常によく伝わってくる。雑多な人々が入り乱れる街を、ブウブウ文句を言うスペイスマンと苦笑いをするブルーの2人が捜査を進めていく。

 

この話はちょっと筋が読みづらいところがある。刑事組、犯人組、5人の男の視点の切り替わり、さらに別陣営も登場し、今どういう状態だ?何と争ってるんだ?と混乱することもある───が、注目はトビアスリアダンだ。トビーは今までの話にはいなかった新しいタイプのキャラクターだ。尖ってるがどこか愛嬌があり、ラースに突っかかりながら尊敬の念も抱いている。『真夜中の相棒』『刑事コワルスキーの夏』では共依存や懇願するほど相手を必要とする逃れられない関係が描かれていたが、今回の男たちはそうではない。

ただ隣にいてくれればいい、お前が隣にいると安心する。そんな漠然とした、けれど忘れることのできない感情の中にいる。話も全体に重くなることはない、ただ時折寂しい気持ちになるのだ。

ここから下はネタバレ感想。

 

 

 

 

ラース、おぉぉラース!誰かラースを戦争から救い出してやることはできなかったのか!

初めの印象は残虐でタチの悪い男だと思った。読むにつれ彼の飛び抜けた能力が戦地で多くの人の命を救い、デヴやトビーの命も救っていたことを知る。スペイスマンの推測通りとすれば、彼は上官の命令を忠実に遂行したがトカゲの尻尾切りにあい、傭兵として世界を彷徨うようになってしまった。審問でラースを救うため証言したトビーにしてみれば、あんなに自分達を助けてくれたのにそれを返すことができなかった、悔しかっただろう。

ラースは狡賢くタチが悪い男であることは変わりない。けれどトビーやデヴのように戦争が終わっていれば、違う生き方もあったのではないか……海辺の車の中で1人声を上げ泣くラース、切なく哀しすぎるのだ。

たどり着いた生き方をデブでさえ肯定してくれない。デブもラースをなんとかしてやりたいが、どうにもできないことを分かっている。だから最後、守るように覆いかぶさったのだろう。この事件で一番人生を棒に振ったのはデブだ。写真展での評価も良く、有名カメラマンとしての階段を華々しく登っていく、それを全て捨て犯罪者になってしまった。

 

この話でデヴは前作のジョディに近いヒロイン枠だが、そこまでの悲壮感はない。トビーを含め、ラースは抜けたければ抜ければいいというスタンスをとっている(本当は抜けて欲しくないが)犯人組は個人個人が独立しているので、泥沼化せず適度な距離を保っている。それが湿っぽくない、カラッとした男同士の読んでいて気持ちの良い会話を生み出している。

デヴがラースと再開した時「この野郎」と叫ぶのも、トビーが「どこの岩の下から這い出てきたんだ?」と嫌味を込めて返すのも、同じ釜の飯を食った気の置けない間柄というのがよく分かって最高だ。

 

犯人組3人の関係も面白い。ラースとデヴはクリスマスイヴを一緒に過ごし、女を共有するほど親しい。トビーはそんな2人の関係を認めながらそばにいる。暴走したラースを止められるのは自分だけだ、ラースに突っかかりながらも頼りになる奴だと思っている。

トビーは3人の中で「弱さ」を上手い具合に凝縮されたキャラだと思う。自分の仕事には真面目に取り組みながら先行きを心配し、頭の回転も良く、気をきかせることもできる。状況を見ることができるからこそ恐怖し、最後にスペイスマンに電話をかけた。特殊部隊の技を使い、相手を倒したときは嬉しそうに「ばかなメスどもめ」とイキってみせるが、人を撃ち殺したあとは震える。今までに作品にはいないタイプで、このキャラクター造形がこの後の『殺し屋マックスと向こう見ず野郎』にもいきている。

とにかく愛らしい、不恰好な犬を飼おうという夢も、ホームポート号という名前も、フォルスクワーゲンをロールスロイスに擬態させようとする見栄も面白いのだ。

 

それぞれが所有する車も各人の性格をあらわしている。車、映画、俳優、音楽、80年代当時のアメリカ社会を体験できる。『真夜中の相棒』では2人はBMWに乗っていたが、マックが若い頃使っていた車はダッジだ。テリー・ホワイトの話にはカマロやポンティアックなど《アメリカンマッスルカー》と呼ばれたゴツくてデカい、ぶぉんぶぉん唸るカッコイイ車が出てくる。

時代をあらわす点では、デヴがヴェトナムで撮影したモノクロ写真も重要だ。ヴェトナム戦争は、ほとんどがモノクロで撮影されているがモーテルで過ごす3人の写真はカラーだったのだろうか?

デヴの写真に残る若い日のラース。まだ戦争を知らない処女のような自分を見つめ苦々しく思う彼にデヴは大切な1枚だと伝える。モーテルで過ごした時間も刻銘に残されている。この話で写真の果たす役割は大きい。80年代中頃、日本では使い捨てカメラが登場し、一般家庭でも一眼レフを所有し家族の写真を記録していた時代だ。

 

テリー・ホワイトの描く物語でヴェトナム戦争がしっかり出てくるのは、この話が最後だ。これ以降に書かれた話には大きく出てくることはない。夜毎ブルーの元にかかってくる電話。救えなかったのかと悔やむブルーの思いはデヴと通じるところもあるだろう。

 

刑事組が抱え直面する悩みは、ある種一般的で波瀾万丈な犯人組に対し落ち着いて読むことのできるターンだ。特にスペイスマンの家庭問題には共感の嵐しかない。

思春期の息子と対峙し、彼の抱える悩みをどう救いあげればいいのか、自分は何をすればいい、何ができるのか?

かつてそこに住んでいた家を訪れた時に感じるスペイスマンの心境──子供が小さかった頃は問題がもっと簡単に解決した──そうかもしれない。泣けば抱いてやり、自転車に乗ろうとすれば練習に付き合う、仕事に忙しいスペイスマンもそのぐらいはしただろう。

成長と共に物理的なサポートは減り、精神的な部分に目を向ける必要が出てくる。

 

「ぼく、怖いんだ、パパ。世界がぼくにぶつかってくるのに、ぼくはひとりぼっちだ。だから、怖いんだ。ぼくはパパに助けてもらいたかった。だのにパパは助けてくれなかった」

 

世界がぶつかってくる。子供が大人へと成長する過程、衝突。テリー・ホワイトは数年後『木曜日の子供』でそれを中心に据え書いている。

 

ブルーの悩みは女性との付き合いだ。シャロン遠距離恋愛になることを悲観している。今ならビデオ通話もありメッセージのやり取りも容易だ。世界は80年代より小さくなり飛行機は飛びまくっている。ブルーの時代は長距離電話をかけるか、文通しかない。顔なんて見ることもできない。

本文ではジョンズ・ホプキンスというところにシャロンがたつことが分かる。調べると〈ジョンズ・ホプキンス大学〉は世界屈指の医学部を持つアメリカ最難関大学だ。メリーランド州ボルチモア、ワシントンやニューヨークのある東部になるのでロサンゼルスの反対側だ。遠い。(ボルチモアといえば映画《ヘアスプレー》の舞台になっている)未だ自分に自信が持てないブルーを、スペイスマンが追ったてていく様も微笑ましい。

 

物語冒頭クリスマスツリーが現れ、聖夜に浮かれる街やクリスマスカードを書くブルー。年末の香りが漂い、パパDの元に連行されながら口笛を吹くラースの姿はきらめく灯りの中に緊張と哀愁を漂わせる。

『I’ll Be Home for Christmas』邦題は『クリスマスを我が家で』

クリスマスには家に帰るよ、例え夢の中だけでも

I'll Be Home for Christmas

I'll Be Home for Christmas

家に戻ることのできない兵士が家族へ向けて書いた手紙のような歌といわれている。口笛を吹くラースにとって、家とはデヴの部屋やトビーの隣だったのだろうか。

 

物語最後、ホームポート号でトビーがひとり年を越す。ハッピーニューイヤーという歓声と音楽の中、船のデッキで歌い、ダイヤを海に投げ捨てる。ライオネル・リッチーの歌と書かれている。このシーンも華やかな世界の中、寂しさと満足感に浸るトビーが印象的だ。映像で観たい。

All Night Long (All Night)

All Night Long (All Night)

  • provided courtesy of iTunes

 

「それ、この通りだ、ラース。あんたのものだ、くそったれ」

 

花火のように打ち上がり、弾け消えていったラース。

朝食に「パンケーキなんか、どうだい?」と提案するお茶目なラース(令和の飾り立てたパンケーキとは違う、もっと素朴なものだろう)

『リトル・サイゴンの弾痕』は男達の心地よい会話と距離と虚しさを味わわせてくれる。

 

追記:物語冒頭のエピグラフジャスティン・ヘイワードの〈Tightrope〉という歌の歌詞だ。iTunesにはないが検索するとYou tubeの本人チャンネルで曲を聴くことができる。キン肉マンがリングに飛び込むかと思うような入りから、予想外に爽やかな曲だ。

この曲を聴くと妙に爽やかなラースがデヴとトビーを引き連れ、軽やかに綱を渡っているような気がしてしまう。