takE’s diary

テリー・ホワイトの感想を書きます

ギリギリで生きていたいから『リトル・サイゴンの弾痕』

Tightrope 原題の意味は〈綱渡りの綱〉高いところにある1本の綱を渡っていく、危険を犯す行為のことだ。危ない橋を渡るとき──1人で渡る?それとも誰かと共に?この話は『刑事コワルスキーの夏』の続編になるので、先にそちらを読んでから読むことをオススメする。

あらすじ(初版1987年)

クリスマスが近づきサンタが闊歩するロサンゼルス。カフェを経営するヴェトナム難民の男が殺害される。さらに数日後、売春婦の死体。スペイスマンとブルーは2つの遺体の共通点に気づき、同一犯と睨み捜索に乗り出す。

元米軍中尉・特殊部隊にいた男ラース・モーガンはロサンゼルスで目的のモノを手に入れるためヴェトナム時代の仲間を訪ねる。写真家のデヴリン、セックスで稼ぐトビアス。今度の仕事は一人でやるには危険すぎる。

移民、難民、退役軍人、80年代アメリカ。戦争を続ける男の物語。

 

前回の事件から6ヶ月近く経ち、すっかり距離が縮まったスペイスマンとブルー。互いのプライベートをちょっぴり心配しながら、二人の心地よい会話の掛け合いを見ることができる。今回の話は、犯人組に今までの作品にはいなかった新しいタイプのキャラクターがいることが読んでいて非常に面白く、楽しい。人物紹介はこちら。

 

刑事:スペイスマン・コワルスキー

長い間殺人課に勤務しているので顔が広い。新しい恋人ができた!息子との心の距離をなんとかしたい。文句があるとブウブウ言い出す。車はよく故障する。

 

刑事:ブルー・マガイア

夜毎かかってくる謎の男からの電話に悩まされる。いまだに女性とうまく付き合えない。毎晩いい酒を飲む。車はポルシェ。

 

犯人:ラース・モーガン

元米軍中尉。おそらく40代。身長約178cm、くすんだブロンドの髪に灰色の瞳、オハイオ州クリーブランド出身。感情の起伏が激しい、常に銃を持ち歩き躊躇いなく人を殺す。3人のボス。

デヴリンのことは信頼し心を許せる友だと思っている。トビアスのことは好きだが腹の中をみせない奴だと思っている、だがそれがトビアスの良さとも理解している、時々「坊や」と呼ぶ。

背の高い化粧の濃い女が好き。車はレンタカーのフォード

 

犯人:デヴリン・コンウェイ

元UPI通信特派員、写真家。おそらく30代後半。背が高く、黒っぽい髪に空色の瞳。育ちの良いオーストラリア人。愛称はデヴ、デブじゃない。

危険な状態でも「カメラを持ってこればよかった」と思う男。ラースとは女を選ぶゲームを一緒にする仲。基本優しい、一般人。

背の高い品のある女が好き。車はポンティアック・ルマン

UPI:アメリカの巨大通信社、日本人カメラマン沢田教一も所属しベトナム戦争の写真でピューリッツァー賞を受賞している。1985年事実上倒産。

 

犯人:トビアスリアダン

元米軍軍曹。36歳。ラースよりちょっと背が低い、褐色の髪にハシバミ色の瞳。みんな大好きオクラホマの男。愛称はトビー。レイバンのミラーサングラスをかけている。

相手が望むセックスプレイを提供し、金を稼ぐ。顧客は金持ち女性。服装や生活にこだわり、「違いのわかる男」が売り。

ラースのことは疑いながらも尊敬している。

女はもういい、犬が好き。車はロールスロイスのフロントを取り付け改造したフォルクスワーゲン

 

ヴェトナム戦争を経験した男達が入り乱れるこの話は、80年代ロサンゼルスがどんな人種構成になっていたのかを知る機会を与えてくれる。訳者:橘雅子のあとがきに

1982年現在、白人の住民は半分弱で、3人に1人がスペイン系、10人に1人がアジア系

と書かれている。そのありようが非常によく伝わってくる。雑多な人々が入り乱れる街を、ブウブウ文句を言うスペイスマンと苦笑いをするブルーの2人が捜査を進めていく。

 

この話はちょっと筋が読みづらいところがある。刑事組、犯人組、5人の男の視点の切り替わり、さらに別陣営も登場し、今どういう状態だ?何と争ってるんだ?と混乱することもある───が、注目はトビアスリアダンだ。トビーは今までの話にはいなかった新しいタイプのキャラクターだ。尖ってるがどこか愛嬌があり、ラースに突っかかりながら尊敬の念も抱いている。『真夜中の相棒』『刑事コワルスキーの夏』では共依存や懇願するほど相手を必要とする逃れられない関係が描かれていたが、今回の男たちはそうではない。

ただ隣にいてくれればいい、お前が隣にいると安心する。そんな漠然とした、けれど忘れることのできない感情の中にいる。話も全体に重くなることはない、ただ時折寂しい気持ちになるのだ。

ここから下はネタバレ感想。

 

 

 

 

ラース、おぉぉラース!誰かラースを戦争から救い出してやることはできなかったのか!

初めの印象は残虐でタチの悪い男だと思った。読むにつれ彼の飛び抜けた能力が戦地で多くの人の命を救い、デヴやトビーの命も救っていたことを知る。スペイスマンの推測通りとすれば、彼は上官の命令を忠実に遂行したがトカゲの尻尾切りにあい、傭兵として世界を彷徨うようになってしまった。審問でラースを救うため証言したトビーにしてみれば、あんなに自分達を助けてくれたのにそれを返すことができなかった、悔しかっただろう。

ラースは狡賢くタチが悪い男であることは変わりない。けれどトビーやデヴのように戦争が終わっていれば、違う生き方もあったのではないか……海辺の車の中で1人声を上げ泣くラース、切なく哀しすぎるのだ。

たどり着いた生き方をデブでさえ肯定してくれない。デブもラースをなんとかしてやりたいが、どうにもできないことを分かっている。だから最後、守るように覆いかぶさったのだろう。この事件で一番人生を棒に振ったのはデブだ。写真展での評価も良く、有名カメラマンとしての階段を華々しく登っていく、それを全て捨て犯罪者になってしまった。

 

この話でデヴは前作のジョディに近いヒロイン枠だが、そこまでの悲壮感はない。トビーを含め、ラースは抜けたければ抜ければいいというスタンスをとっている(本当は抜けて欲しくないが)犯人組は個人個人が独立しているので、泥沼化せず適度な距離を保っている。それが湿っぽくない、カラッとした男同士の読んでいて気持ちの良い会話を生み出している。

デヴがラースと再開した時「この野郎」と叫ぶのも、トビーが「どこの岩の下から這い出てきたんだ?」と嫌味を込めて返すのも、同じ釜の飯を食った気の置けない間柄というのがよく分かって最高だ。

 

犯人組3人の関係も面白い。ラースとデヴはクリスマスイヴを一緒に過ごし、女を共有するほど親しい。トビーはそんな2人の関係を認めながらそばにいる。暴走したラースを止められるのは自分だけだ、ラースに突っかかりながらも頼りになる奴だと思っている。

トビーは3人の中で「弱さ」を上手い具合に凝縮されたキャラだと思う。自分の仕事には真面目に取り組みながら先行きを心配し、頭の回転も良く、気をきかせることもできる。状況を見ることができるからこそ恐怖し、最後にスペイスマンに電話をかけた。特殊部隊の技を使い、相手を倒したときは嬉しそうに「ばかなメスどもめ」とイキってみせるが、人を撃ち殺したあとは震える。今までに作品にはいないタイプで、このキャラクター造形がこの後の『殺し屋マックスと向こう見ず野郎』にもいきている。

とにかく愛らしい、不恰好な犬を飼おうという夢も、ホームポート号という名前も、フォルスクワーゲンをロールスロイスに擬態させようとする見栄も面白いのだ。

 

それぞれが所有する車も各人の性格をあらわしている。車、映画、俳優、音楽、80年代当時のアメリカ社会を体験できる。『真夜中の相棒』では2人はBMWに乗っていたが、マックが若い頃使っていた車はダッジだ。テリー・ホワイトの話にはカマロやポンティアックなど《アメリカンマッスルカー》と呼ばれたゴツくてデカい、ぶぉんぶぉん唸るカッコイイ車が出てくる。

時代をあらわす点では、デヴがヴェトナムで撮影したモノクロ写真も重要だ。ヴェトナム戦争は、ほとんどがモノクロで撮影されているがモーテルで過ごす3人の写真はカラーだったのだろうか?

デヴの写真に残る若い日のラース。まだ戦争を知らない処女のような自分を見つめ苦々しく思う彼にデヴは大切な1枚だと伝える。モーテルで過ごした時間も刻銘に残されている。この話で写真の果たす役割は大きい。80年代中頃、日本では使い捨てカメラが登場し、一般家庭でも一眼レフを所有し家族の写真を記録していた時代だ。

 

テリー・ホワイトの描く物語でヴェトナム戦争がしっかり出てくるのは、この話が最後だ。これ以降に書かれた話には大きく出てくることはない。夜毎ブルーの元にかかってくる電話。救えなかったのかと悔やむブルーの思いはデヴと通じるところもあるだろう。

 

刑事組が抱え直面する悩みは、ある種一般的で波瀾万丈な犯人組に対し落ち着いて読むことのできるターンだ。特にスペイスマンの家庭問題には共感の嵐しかない。

思春期の息子と対峙し、彼の抱える悩みをどう救いあげればいいのか、自分は何をすればいい、何ができるのか?

かつてそこに住んでいた家を訪れた時に感じるスペイスマンの心境──子供が小さかった頃は問題がもっと簡単に解決した──そうかもしれない。泣けば抱いてやり、自転車に乗ろうとすれば練習に付き合う、仕事に忙しいスペイスマンもそのぐらいはしただろう。

成長と共に物理的なサポートは減り、精神的な部分に目を向ける必要が出てくる。

 

「ぼく、怖いんだ、パパ。世界がぼくにぶつかってくるのに、ぼくはひとりぼっちだ。だから、怖いんだ。ぼくはパパに助けてもらいたかった。だのにパパは助けてくれなかった」

 

世界がぶつかってくる。子供が大人へと成長する過程、衝突。テリー・ホワイトは数年後『木曜日の子供』でそれを中心に据え書いている。

 

ブルーの悩みは女性との付き合いだ。シャロン遠距離恋愛になることを悲観している。今ならビデオ通話もありメッセージのやり取りも容易だ。世界は80年代より小さくなり飛行機は飛びまくっている。ブルーの時代は長距離電話をかけるか、文通しかない。顔なんて見ることもできない。

本文ではジョンズ・ホプキンスというところにシャロンがたつことが分かる。調べると〈ジョンズ・ホプキンス大学〉は世界屈指の医学部を持つアメリカ最難関大学だ。メリーランド州ボルチモア、ワシントンやニューヨークのある東部になるのでロサンゼルスの反対側だ。遠い。(ボルチモアといえば映画《ヘアスプレー》の舞台になっている)未だ自分に自信が持てないブルーを、スペイスマンが追ったてていく様も微笑ましい。

 

物語冒頭クリスマスツリーが現れ、聖夜に浮かれる街やクリスマスカードを書くブルー。年末の香りが漂い、パパDの元に連行されながら口笛を吹くラースの姿はきらめく灯りの中に緊張と哀愁を漂わせる。

『I’ll Be Home for Christmas』邦題は『クリスマスを我が家で』

クリスマスには家に帰るよ、例え夢の中だけでも

I'll Be Home for Christmas

I'll Be Home for Christmas

家に戻ることのできない兵士が家族へ向けて書いた手紙のような歌といわれている。口笛を吹くラースにとって、家とはデヴの部屋やトビーの隣だったのだろうか。

 

物語最後、ホームポート号でトビーがひとり年を越す。ハッピーニューイヤーという歓声と音楽の中、船のデッキで歌い、ダイヤを海に投げ捨てる。ライオネル・リッチーの歌と書かれている。このシーンも華やかな世界の中、寂しさと満足感に浸るトビーが印象的だ。映像で観たい。

All Night Long (All Night)

All Night Long (All Night)

  • provided courtesy of iTunes

 

「それ、この通りだ、ラース。あんたのものだ、くそったれ」

 

花火のように打ち上がり、弾け消えていったラース。

朝食に「パンケーキなんか、どうだい?」と提案するお茶目なラース(令和の飾り立てたパンケーキとは違う、もっと素朴なものだろう)

『リトル・サイゴンの弾痕』は男達の心地よい会話と距離と虚しさを味わわせてくれる。

 

追記:物語冒頭のエピグラフジャスティン・ヘイワードの〈Tightrope〉という歌の歌詞だ。iTunesにはないが検索するとYou tubeの本人チャンネルで曲を聴くことができる。キン肉マンがリングに飛び込むかと思うような入りから、予想外に爽やかな曲だ。

この曲を聴くと妙に爽やかなラースがデヴとトビーを引き連れ、軽やかに綱を渡っているような気がしてしまう。

血を流す心臓『刑事コワルスキーの夏』

Bleeding Hearts 原題をうっかりグーグル翻訳に入れると『血を流す心臓』となってしまう。sがあるのでこれは一人じゃない、誰か二人の心臓が血を流している。Bleeding Heartというフレーズは〈情に流されすぎる人〉なんて意味もあるようで、その辺りを含めて読むと苦しくやるせない気持ちになるお話だ。

テリー・ホワイトの本は全て絶版だが探せば図書館で置いているところもある、『真夜中の相棒』以外は中古市場でも値段は高くはない。

 

あらすじ(初版1985年)

80年代初頭、猛暑のロサンゼルス。グリフィス・パークでハスラー(男娼)の少年の無残な遺体が発見される。38歳バツイチ刑事スペイスマン・コワルスキーは突然組むことになった妙にオシャレな金持ち刑事ブルー・マガイアと共に捜査を進める。

対する犯人は、少年を殺し、スペイスマンへの復讐を狙うヒッチコック兄弟。弟への屈折した愛と狂気をもつ兄トム、優しさと後悔に満ちた弟ジョディ。二人を引き離した10年の歳月が鋭いナイフを突き立てる。

血生臭く、泥臭い、4人の男たちの取り返しのつかない物語。

 

刑事組はタイガー&バニーを想像してもいいかもしれない……いや、桂正和の絵ではオシャレすぎる。もっとダメな人たちだ。テリー・ホワイトはダメな男を書くのが上手い。

犯人組ヒッチコック兄弟の兄トムはジョジョの敵にいそうなぐらいキレている。スタンドを使っても違和感がない。けれどこの男の心の悲鳴に読んでいるこちらはズタズタにされる。簡単な人物紹介はこちら。

 

刑事:スペイスマン・コワルスキー

38歳、口髭をたくわえた少しお腹の出たオジサン。頭も薄くなり始めたかもしれない。離婚した妻の元に16歳になる息子がいる。時々20歳のセフレとよろしくやっているが生気を吸われそうなので、歳の近い女性とお近づきになりたい。仕事は基本誰とも組まない。

 

刑事:ブルー・マガイア

若く細身、ブロンドの髪をした顔面がかっこいい男。身なりに気を使い、家も車も酒もアッパークラス。料理もできる。若きレッドフォードに似てるらしい。人事移動で殺人課に配属になり張り切り中。女性ともっと上手く付き合いたい、なぜ長続きしないのか悩む。

 

犯人兄:トム・ヒッチコック

多分27歳。黒っぽい縮毛に浅黒い顔、淡青色の瞳。10年前殺人を犯し、精神病院に入院、脱走しスペイスマンへの復習に燃える。少年が好き、でも一番は弟が好き。躊躇なく人を殺す、常人からみるとかなりキてる。

 

犯人弟:ジョディ・ヒッチコック

23歳。見た目は兄を若くした感じ、黒い瞳。兄の脱走を助け行動を共にする。兄を慕いながら悩む優しい男。

 

この話は思春期の少年少女が登場し、手に入らない何かを求め大人になる前の未成熟な心と体、鬱憤が流れている。その中をすっかりオジサンのスペイスマンと若い相棒ブルーの2人が波をかき分け進んでいく。

ヒッチコック兄弟は近親相姦にあり、偏った繋がりを持つ。だがそんな彼らも10年前は子供だった。切なさとやり切れなさを背負う兄弟の動きを読み手は追っていくことになる。

犯行が残忍な上、少年が被害にあうので『真夜中の相棒』の持つ透明感が好きな人には合わないかもしれない。けれど映画のように浮かぶ情景や心がかきむしられる人物の心理描写が好きな人にはおすすめできる。

ちなみにこの話には「電話帳」というシロモノが出てくる。信じられないだろうが、その地域に住む人の氏名、電話番号、果ては住所まで記載されていて、どの家庭にも一冊はある驚異の個人情報満載本だ。時代が違う。

ここから下はネタバレ感想。

 

 

 

 

ロサンゼルス怖すぎ、治安悪すぎ。時代は違うが『ラ・ラ・ランド』の裏側、闇。

刑事と犯人、2組のバディの成り行きを追いかける話だが私は完全に犯人組に入れ込んでしまった。テリー・ホワイトの生み出すキャラクターが最高に味わい深いのは社会生活にうまく馴染めない男が相棒とともに、もがく姿だと思う。その姿を今回はヒッチコック兄弟がみせてくれた。兄トムのキレている思考回路に冒頭から引き込まれる。

生きているって何とすばらしいことだろう!

なんて奴だ、このセリフを読んだ瞬間最高だと思った。

10年前から時間が止まってしまったトム。彼の中でジョディはまだ13歳の弟だったのだろう。自分の知らない弟の時間。いつの間にか弟が作り上げていた生活、恋人、仕事。ジェリー・ポッターの家からスペイスマン達が去り、トムの視点に切り替わった時の恐怖。戦慄が走った、完全にホラーだ。まさか、この男、え?やめてくれ……恐怖に震えながらページをめくった。直前のブルー達とのやりとりでジェリーはこの作品には異質といえるほど光属性の男だった。愛するジョディのため強い意志を持っていた。それをこんな数ページで無惨に殺すなんて酷すぎる(褒めてます)

だがその後、寝室に入ったトムの場面は胸をえぐられた。彩り豊かな幸せを描いたような恋人達の寝室。一つのベッド。暖かい日が差し込む部屋の中、怒りにまかせ全てを切り刻むトム。『真夜中の相棒』3部後半、マックがジョディを何度も殴りつける場面がある。私はあの時と同じ痛みを感じた。やめてくれ、やめてくれ、心の中で何度も叫びながらその場面を読んだ。

トムは残忍で自分勝手、擁護なんてできないほど酷い男だ。それなのに、このシーンは耐えきれない彼の傷ついた心に共鳴し、トムを哀れに悲しく思ってしまう。そして築き上げたものを失ったジョディの悲しみを思い、感情がぐちゃぐちゃになる。10年の歳月は2人の間に大きな溝を作り、取り返すこともできない。

終盤ジョディが「俺はもうやり直したよ。二度も」と言う。切実な叫びだ。彼の手には何が残ったんだろう?────何も残らなかった。恋人も家も仕事も、支えてきた兄も失った。それでも生きていかなければならない。ジェリーの姉、レイニー・ポッターが彼を支えてくれるだろうか。

 

ジョディのトムに対する気持ちの中に、テリー・ホワイトはどうしてこんなことを知っているのか?と思う場面がある。

ところが、二、三ヶ月ごとに病院で一時間ばかり兄と面会するのと、四六時中彼のそばにいるのとでは雲泥の違いがあることを、ジョディは今、思い知らされていた。

この心情、精神を患った家族と過ごす人あるあるだろう。入院中は物理的に距離ができ、自分自身の心の負担も少ない。ところが退院し四六時中一緒にいると、随分違う。家族なのだからそうは思いたくはない、助けたいし支えたいのだが自分の体調とメンタルにも関係してくる。ジョディの気持ち、分かる。『真夜中の相棒』もただマックがジョニーのお世話をするだけなら、ここまで琴線にこなかった。マックの疲労や諦めが描かれているところが妙に納得できるのだ。

さらにスペイスマンの元妻カレンの放つ言葉が何ともリアリティがある。

あなたは十六の子と来る日も来る日も一緒にいるのがどんなことかわからないでしょうけど、楽なことじゃないのよ

お疲れ様です。そうですね。

この話には終始どこへ向かうか自分でも分かっていない思春期の子供たちが出てくる。この本が出版された時テリー・ホワイトは39歳だ。娘さんがいるそうなので、どの家庭でも勃発する何かはあっただろう。刑事組はヴェトナム戦争の影を背負いながら日常を社会生活を送っている。ヒッチコック兄弟を追いながら日常的な悩みが併発し進んでいくところは親しみを感じる。

刑事組の好きな場面はブルーがスペイスマンに料理を作ってやるところだ。チャチャッとサラダ、フランスパン、ワインを準備し素敵な食卓作り上げる。なぜ女性と長続きしないのか……変に格好つけようとするのが良くないんじゃないか。ブルーがシャロンと初めて夜を共にする時にかかっていた曲はジョーン・バエズだ。曲名は分からないがセックスの最中バエズが何度も情熱的に歌い上げる。妙に面白いこの場面、私はとりあえずバエズの曲を流し続けた。

 

ブルーはスペイスマンに寄り添っていこうと動き、スペイスマンもそれを徐々に受け入れる。順調に関係を築き上げる刑事組に対し、犯人組は固い絆と思っていたものがどんどんズレていく。本作のヒロインが弟ジョディなのは間違いない。

 

終盤遊園地のシーンはぜひ映像で見たいと思わせる部分だ。テリー・ホワイトは『真夜中の相棒』『殺し屋マックスと向こう見ず野郎』の2本がフランスで映画化しているが、この遊園地のシーンは絵にすればかなり面白いと思う。廃墟の遊園地、ドギツイ色と陽気な造形、無数の鏡、錆び付いた観覧車。ジョディとジェリーの愛の家も優しく温かい色と音楽で表現されると思う。誰か映画化してくれないのか。

 

物語の始まる前、エピグラフのちょと怖いわらべ歌。

読み終わるとこれが何を指しているのか、誰の心臓なのか、血を流し泣いているのは誰なのか───読んでいる私たちの心臓にもナイフを突き立てられたような痛みを感じるはずだ。

手作りのウェスタンブーツ?男達の食事や服装『真夜中の相棒』

プロローグ、マックがアイスを買いに店に入るとき「手作りのウェスタン・ブーツの靴音を鋭く響かせ」とある。

手作りのウェスタンブーツ?マックはカウボーイハットでも被ってるのか?

 

私が生まれた時、すでにヴェトナム戦争は終わっていた。

ヴェトナム戦争で知っていることはベトちゃんドクちゃん、枯葉剤ぐらい。アメリカもハワイしか行ったことがないので彼らが旅する都市の雰囲気や時代もピンとこない。

気になるところを調べていくうちに3人の男の背景や輪郭が見えてきたような気がする。彼らの服装や食事、会話や生い立ちなどなどから書いていきたい。もちろんネタバレ。

 

 

男達の服装

西部の男カウボーイマック

初めにマックの靴について書いたが、マックは主人公3人の中では一番おしゃれさんだ。服のバリエーションが多い。

プロローグではグリーンのウィンドブレーカーとウェスタンブーツ。一部に入るとデニムの上着やコールテン(コーデュロイ)のズボン、セーター、コート、ネクタイもある。Tシャツはダークグリーン、公園でジョギングを始めようと言い出した時はジョギングジャケット(ランニングジャケット)を着ている。三部海沿いではサングラスをし、殺される日に着ていた服はグレーのスラックス、グリーンのニットシャツ、よれよれウィンドブレーカー。ジャケットはないが、ネクタイとスラックスを持っているところが彼らの生活から意外でもある。

マックの故郷はオクラホマシティーだ(女と寝る時に天井のひび割れに故郷の形を見出しているところが混乱状態をあらわしていて面白い)私にはオクラホマオクラホマミキサーしか出てこない。小学生の時フォークダンスを踊ったあの曲だ。とりあえずオクラホマミキサーを聴きながらこの文章を書き進めることにする。

オクラホマ・ミキサー

オクラホマ・ミキサー

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オクラホマ州は西部開拓時代のカウボーイ文化の街、らしい。なるほど、だからウェスタンブーツを手作りするのか!だから軍をやめた後、靴屋に就職するのか(三日で辞めたけど)ジョニーの西部劇好きともつながる気もする。

マックは主人公達の中で一番背が高く、「ハンサム」とマックと話した少年が答えている。気前がいい時はジョニーに本革の手袋をプレゼントする。そりゃ買った女にもモテるわ。

 

青が好きです!ちぐはぐジョニー

ジョニーは服にかまわない印象がある。

常に色落ちぴっちりリーヴァイスと履き古したランニングかテニスシューズ。プロローグでは黄色いTシャツにコールテンのスポーツコート。アルとフランクを殺害する時はブルーのスキージャケットだ。

このアルとフランクを殺害に行く直前、ジョニーはマックの血のついたシャツを「忌まわしいシャツ」と表現し屑籠に捨てている。そして「少し大きすぎるカーキ色のシャツ」に着替える。この少し大きすぎるシャツはおそらくマックのシャツではないだろうか。

同じように三部後半、マックに殴られた後ジョニーは服を着替えマックを探しに行く。この時「大きすぎるブルーのTシャツ」に着替えるが、このTシャツはマックのものだと書かれている。つまり三部ではマックもブルーのTシャツを着ている!お揃いで買ったのだろうか?「マックのサイズも売っていますよ。一緒に買いませんか?」「ああ?お前さんの好きにしろ」……想像するだけで楽しくなる。

ちなみにサイモンとダーツ投げをしている時にジョニーが着ていたTシャツは「ナイアガラフォールズ」と書かれている。「富士山」と書かれたTシャツを着ているようなものだろうか。「富士山」のTシャツを着た冷血な殺し屋、という珍妙な状態にサイモンは混乱する。

さらに色付きのパイロット用眼鏡もつけている。パイロット用眼鏡?調べるとトップガントムクルーズが付けていたような形だ。

 

ジョニーは全体的にチグハグな組み合わせだ。マックが時々アドバイスをしているような気もするが──そしてジョニーは海パンも持っている。だが、おそらくマックは持っていない。水が嫌いだから。これも海パンを買う時に「マックは買わないんですか?」「俺はいらんよ」なんて会話があったかもしれない。

 

無彩色のたどり着く先、サイモン

サイモンは服をほとんど着替えない。

捜査に没頭するあまり何日も同じ服を着ていることが多い。二部冒頭はTシャツにジーパン、デニムの上着だ。この時に着ていた服はマイクの血で汚れ「あいつめ、こんなに血を流しやがって」と口にする。相棒の血で服が汚れ、着替える所はジョニーも同じだ。

色褪せたリーヴァイスや汗染みのTシャツ、テニスシューズ、ウィンドブレーカー、のびっぱなしの髪と髭。身なりに気を使ったのはマイクの葬儀(黒)、変装(白)、警察の査問委(グレー)の3箇所、どれも大切な場面だ。

葬儀でサイモンはシヴォーンに頼まれ大勢の前で挨拶をする。混乱しながらもなんとか言葉を紡ぐ。彼の中でどれだけマイクの存在が大きかったか、未来を失い途方にくれている姿が心に残る。この場面はジョニーの卒業式と対比される。

ジョニーは卒業式で多くの人の前で答辞を読んだ。未来への不安とそれに打ち勝つ自信。若者の溢れる希望が隅々まで感じられる素晴らしい内容だ。

未来を夢見るジョニーと未来を失ったサイモン、二人が大勢の人の前で話す言葉は真逆だ。

フェニックスでの変装はイタリア製の白いスーツ、ブルーのシャツ、黒靴。この時のサイモンはマイクが乗り移ったような振る舞いをみせる。彼は“マイクならこうするだろう”というイメージのもと動いている。そして鍵となる金髪野郎の話題を出すときに祈る「聞いてるか、マイク?」

神に祈ることをしない男が失った相棒に祈る。ショーを成功させるため俺を助けてくれ、と。このグレイヴンとのやりとりはサイモン一人ではなく相棒マイクと二人で勝ち取った場面になるだろう。白いスーツでニヤリと笑うサイモンは非常に印象的だ。

査問委では地味なグレーのスーツとネクタイだ。この章でサイモンは職を失い、妻にも娘にも去られ、章の最後には近所の子供に「おじちゃんは死んだよ」とまで言われてしまう。刑事サイモンはここで死んだのだ。「灰色」はマックが死ぬ時にも出てくる。「灰色のカーテン」と表現され、白でも黒でもない、無味乾燥な世界の終わりを示している。

そしてエピローグではカーキ色のズボンを履く。メキシコのホテルで海を見ながらジョニーと過ごすカーキのズボンを履いた男。マックの姿と重なっていく。

 

ワイルド・マイクとは?

ちなみにマイク・コンロイは服の描写がない(死亡後は警官服を着せられている)ひょろながい赤毛の男、鳶色のカールした髪、柔らかい茶色い目、ぐらいだ。

マイクは冒頭に死んでしまうが、この話を動かす重要な役目を担っている。この話には「ヒーロー」という言葉が出てくる。

マックは「おれたちは英雄なんかじゃない」と殺人の自首をしようとするジョニーを止め、サイモンは査問委に「これが映画なら俺はヒーローだ」と言う。キンバリーは夫に「あなたはヒーローじゃないわ」と告げる。主人公達は誰一人ヒーローではない。だがマイクだけは違う。マイクの葬儀でサイモンは「彼はヒーローだったんだ」と言う。

ワイルド・マイク。この“ワイルド”はスラングで考えると、すごい奴、ヤンチャな奴、やばい、のようなイメージになる。

ところでポーカーには《ワイルドカード》と呼ばれるものがある。ジョーカーのことだ。ジョーカーはどのカードにも変わることができ、最強にも役立たずにもなる。マックはポーカーが好きだ。そしてトランプで遊んでいた少年に声をかけアドバイスしたところから、サイモンへの手がかりを作ってしまう。

マイクの人となりは死んだ後、周りの人間から語られる。バランス感覚に優れ、相手の望むものをだし、理解し、機転が効く。マイク本人の姿はないが彼は物語の至るところに痕跡を残しサイモンを動かしていく。

マイクはジョーカーだったのではないか?深読みな気もするが、そんな考えが頭をよぎる。

 

男達の食事風景

次は食事について書いてみよう。

物語に食事のシーンは何度も出てくる。そして重要な意味を持つ。

 

ジャンクと思い出の狭間マックとジョニー

二人の食事はほとんどがバーガー、ピザ、バーガー、ピザ、ジャンク大国万歳!あたたかいシチューでも作ってモーテルにお届けしたくなる。

唯一のごちそう描写はテデスコから殺し屋になるため貰った金で食べた郊外の宿屋だ。ジョニーはリブを食べ、食後に二人でアップルパイ(パイアラモード)を食べている。パイをフォークで小突きまわすマックとアイスをスプーンで食べるジョニー(この時マックはラッフルズが死んだ後代わりの犬を飼ったのかきく)

マックにとってアップルパイは軍に入る前、若い頃を思い出させる食事だ。故郷のカフェにあるジュークボックスで何度も同じ曲をかけていた。

今ジュークボックスを置いている店は本当に少ないだろう。私は昔、一度だけかけてみたことがある。1曲100円だったと思う。自分の選んだ曲が店内に流れる気恥ずかしさと、その曲が空間を作り上げている誇らしさ。マックもジョニーも自分の選んだ曲が店内に流れた時、嬉しく誇らしく思っただろう。

ところでアップルパイの話題は一部冒頭、ヴェトナムでも出てくる。マックがナット・キング・コールについて尋ねる場面だ。ここでマックは会話の最後に「アップル・パイは好きか、嫌いか」ときいている。しかしジョニーはこの時全く反応をみせず、何も聞いていないようにみえた。

ところが三部に入りジョニーがこの時の会話を聞いていたことが分かる。答えを外に発することができなかっただけで、彼はしっかりと聞き、記憶していたのだ。そしてマックのためジュークボックスでナット・キング・コールをかける。その時ジョニーが食べているのはレモン・メレンゲ・パイだ。これはヴェトナムでマックに尋ねられたアップルパイの答えなのだろう。僕が好きなのはレモン・メレンゲ・パイです、と。ジョニーは出会った時からずっとマックを見つめ続けている。

3人の主人公の中で一番よく食べるのはジョニーだ。甘党でアイスやジュース、コークを好み、ポテトにもケチャップをたっぷりつけ食べる。

マックはあまり食べない。パクパク食べるジョニーの隣でコーヒーを飲んでいることが多い。これは少食なのではなく、精神的にストレスを抱えているためマックは食欲がわかないのではないかと私は想像している。ジョニーの手が折られ病院を出た後、コーヒーショップでジョニーはコークとゼリードーナツを食べる。マックは隣でコーヒーだけだ。自分のせいでこんな結果になってしまい、食欲なんてわかないだろう。

ジョニーがリブを食べている時、マックは空腹を感じない。森で射撃の練習をしたがマックはジョニーに殺しをさせたくないという気持ちが大半を占めている。しかしジョニーは気にならないのでパクパク食べる。

ストレスによって過食になる人もいれば、食べられなくなる人もいる。分かりにくいがマックはジョニーといることでストレスに晒されている。全ての判断が自分にのしかかり、選択の責任が伴う。傷つきやすい優しいジョニーのことを心配し、頭の中は常にモヤモヤしている。分かりやすいストレスの描写は「首筋に緊張からくるこり」だ。このマックのこりの描写は一部始め軍キャンプでの朝食時に現れ、三部の「愛している」の前にもある。三部マックは「精も根も尽きた」「つきまとって離れない」とこりをほぐそうとしている。おそらくジョニーを引き継いだサイモンにも、こりが現れるだろう。

食事を前にして食べてはみたものの、食欲がわかない……マックはよくフォークで皿の上のものを突きまわしている。

テデスコの配下になり集金の仕事に行く前、レストランでジョニーの食べていたスパゲッティを取る(直前まで女とセックスをしていたので腹は減っている)が、ジョニーから出た辛辣な声音で食欲が減退しミートボールを転がし食事をやめている。

マックが気の毒になる話題ばかりなので他のシーンについても書きたい。

自由の女神像の遊覧船でマックはホットチョコレートを買う。観光地お決まりのドリンクと思うが甘いものを買わないマックがジョニーのために買い、そして二人で一つのカップを渡し合いながら飲む。この時ジョニーはマックの落ち着きのない様子に気づき「何かあったんですか?」と問いかける。ジョニーは三部後半でも、不安で眠れずジョニーのベットに這い込んできたマックに「あなたもね、マック」と優しく返す。相手のことを心配し言葉をかける、彼の心に余裕ができてきたのが分かる。

一部後半、公園のジョギング後合流したドラッグストアでジョニーはコーヒーを二つ準備し待っている。マックと自分の分だ。ジョニーがコーヒーを飲むのはこの場面だけだ。寒いのならホットミルクでもよさそうな気もするが、ジョニーはコーヒーに大量の砂糖を入れマックと同じコーヒーを飲む。三部冒頭、ジョニーはマックと同じように煙草を吸う。マックのようになりたい、マックに近づきたい、マックと同じところにいたい。憧れと対等な愛が入り混じったジョニーの気持ちの一端が見える気がする。

 

孤独が浮き彫りになるサイモン

マック、ジョニーと比較するとサイモンは誰かと一緒に食事をするシーンが少ない。妻と食事をしている場面はなく(サイモン一人で食べている)娘と一緒にバーガーを食べる場面では娘に自身の行動を否定され家族との別れになっている。

二部前半、サイモンはほとんど食欲がない。マイクの殺害現場に遭遇し腕の中で息たえた直後だ、食欲もわかないだろう。誰かとの食事の場面でも相手は食べているが、サイモンはわずかしか食べない。

ところが後半サイモンが吹っ切れたように食べ出すシーンがある。シヴォーンに会ったあと、ダグとの食事シーンだ。サイモンはシヴォーンの言葉で拠り所としていたマイクへの想いが破壊され(シヴォーンはサイモンを心配していたのだが結果的に悪い方に転んでしまった)原動力が金髪野郎を捕まえるという目的に転換した。このダグとの場面でサイモンは初めて食欲がわいたように「大口で頬張る」のだ。

そして彼はサンフランシスコを離れ半年後、生まれ育った実家で家族と食事をする。

半年間サイモンはずっと一人きりで食事をとっている。サイモンの父親は彼の仕事や妻を歓迎してはいないが、没交渉というわけではない。サイモン自身、思い出して実家を訪れる関係なので「良く」はないが「悪い」というほどでもないのだろう。

この家族の食卓シーン、そして兄マニーとの場面は非常に重要だ。テーブルを囲み、ワインを飲み、サイモンは周りが理解してくれないこと、淋しさの中にあることを兄に吐露する。この時の兄の言葉は最後までサイモンに問いを投げ続け、おそらくエピローグの先に至っても彼の心を叩き続けるだろう。

ところで二部のサイモンの食事にはピザは一切出てこない。マックとジョニーはあんなに食べていたのに!サイモンひとりぼっちだから……そう思うとマックとジョニーの偏った食生活もほのぼのとしてくる。

そんなサイモンが三部に入り、初めてピザを食べる場面がある。ジョニーに2回目に声をかけた時だ(1回目はアイス)この時サイモンはピザを分け合い、一緒にビールを飲み、誰かと共に食べるという行為の喜びを思い出す。その後サイモンは月光に照らされた海を見つめジョニーとの食事を思い出し「哀れなジョニー」と同情を寄せる。マイクへの思いが消し飛び、ただ無心に金髪野郎を追い、一人淋しく疲れ切った心をジョニーという月光に照らされたのだ。

 

この話には「月の光」が何度か出てくる。

ジョニーが初めてマックの名前を呼び、マックが《モナ・リザ》を歌って寝かしつける夜。

三部ジュークボックスの後、車の中で眠るマックを愛おしそうに見つめるジョニーの視点。

ジョニーとの食事の後、海を見つめるサイモン。

そして、ジョニーがサイモンに銃を突きつけ下ろす場面。

ぼんやりと柔らかく儚げな光の中浮き上がってくるジョニー、マック、サイモン。それが邦題が『真夜中の相棒』となる所以かもしれない。

 

地図でみる足跡

次はアメリカを横断する彼らの足跡を追ってみる。私にはアメリカの土地勘はさっぱりなので、地図を広げ書き込んでみることにした。

3人の足取り

ニューヨークを出発点とするマックとジョニーは淡いブルーのBMWで西へ西へとアメリカを横断していく(青の矢印)ニューヨークにはテデスコや自由の女神像の遊覧船、ジョニーが盗みを働いた時対応したマゼレッティ警部補、そして米国最古の公立病院ベルビューがある。ベルビューは精神病院の代名詞といえるほど有名な病院で、マックを激しく動揺させた名前でもある。殺しの仕事でフェニックスや他の場所に行った痕跡はあるがその辺りは省いている。

サンフランシスコに住むサイモンはフォルクスワーゲンで東へと進む(赤の矢印)どこにいるのか分からない殺し屋を求め東へ東へ進み、実家のボストンへたどり着く。サイモンは生まれ故郷から随分と離れたところで仕事をしているのが分かる。そしてニューヨークでジョニーの名前と顔写真を手に入れた後、また西へ西へと移動をする(ピンクの矢印)

サンフランシスコ、ラスヴェガスロサンジェルス、西側の3都市。マックが好きそうなラスヴェガス、ジョニーが泳ぐ西海岸、サイモンの職場。テリー・ホワイト2作目の『刑事コワルスキー』は舞台がロサンジェルスだ。彼女にとって馴染みのある都市なのかもしれない。

 

 

もう一つ、緑の部分はマックの故郷オクラホマシティだ。この真上がテリー・ホワイトの故郷カンザス州。彼女の3作目『リトル・サイゴンの弾痕』にもオクラホマ出身の男が出てくる。この男は非常に魅力的なキャラクターだ。故郷に近いだけあって、人物の造形もイメージしやすいのかもしれない(オクラホマの真下はテキサス州、まさに西部劇の舞台!)

 

 

それにしてもこの広大な国土の中をサイモンはよく一人でぐるぐる捜索を続けることができたと感心する。手元にあるのはマックという呼び名と似顔絵だけ。それだけの情報で探し回るなんて砂浜に落ちたピアスを探すようなものだ。この粘り強さは本当に警察向きだと思う。

 

男達の役割

物語が進む中それぞれが背負っているもの、捨てていくものが描かれる。その姿は三者三様だが一貫している。

 

母を失った子供マック

マックは一見するとジョニーの保護者のようだが、この物語は〈自分の家を求める二人の子供が寄り添い生きていく話〉と捉えることもできる。

一部の初めマックは「夢に描いている家も家族も実現しないのだ」と心境を吐露している。夢に描いている!マックはずっと憧れていた。隣にいる家族、愛してくれる人、愛する人。そのことが物語の始まりで明かされている。

マックの生い立ちに出てくる母は精神を患い、入院後死亡している(父はいないのだろう)狂気を顔に刻みつけた──マックは母や入院している他の患者のことをそう表現し、幼い頃から恐怖におののいている。この恐怖は奇声や動きを見て感じる「恐い」という感情だけでなく、自分と同じはずの「人間」がなぜこうなってしまったのか全く理解できない恐怖も含んでいる。

マックの母は精神を患う前はどんな母親だったのだろう?

物語の中で彼が母を非難する言葉はない。狂気に覆われた母は幼い彼にとって別人にみえただろう。そしてマックはそうなってしまう前の母を覚えているのではないだろうか。優しく背中を撫で、夜は隣で一緒に眠り、額や髪にキスをし抱きしめてくれたのではないか。

マックはジョニーを落ち着かせる時、自然にスキンシップをとっている。

ヴェトナムでは震えるジョニーに両腕をまわし包み込み、女とのキスで動転した時は脚に手を置き話している。留置所ではジョニーの手を両手で包み語りかける、大切な話をするとき必ず体のどこかに触れ、落ち着かせながら話す。これはマックがそのように接してもらい育ってきたからだろう。マックは孤児院のことも非難はしていない。ただ、誰かと仲良くなり期待してもそれは裏切られてしまう、その経験の繰り返しから自分の心が傷つかないために人と距離をとり、裏切ることのない金と金で成り立つ世界が彼にいっときの安心を与えてくれる。

彼は非常に素直な人間で、しかも自分を客観的にみる視点を持っている。人間関係のリスクを取りたくない、けれど一人でいるのは耐えられない。本当は怖がりで卑怯でどうしようもない人間だと真面目に自分自身を責めている。

殺し屋になる決心をする時、マックはわざと「銃はからきし」とジョニーに告げる。ジョニーが「僕がやります」と言うことを期待して。自分の手を汚したくない、恐い。マックは集金係の時も相手を殴ることをジョニーに任せている。その自分の卑怯さに嫌気がさす、だがジョニーを手放すことはできない。ジョニーに対し「お前は一人では生きていけない」と接しているが、ジョニーは皿洗いの仕事を続けることができた。近所のお婆さんの荷物を持ってあげ、シュガークッキーをもらう仲になっていた。仕事を三日で辞め、借金を作り、手に入るか分からない大金をあてにするマックの方が一人で生きていくのは不向きだ(20で入隊し15年も続いた軍人生活は彼の気性に合っていた)

素直なマックは自分は一人でいるのが嫌だとよく分かっている。そしてジョニーはただ隣にいるだけで自分を肯定してくれる、必要としてくれる。マックは自暴自棄になりジョニーを置いて飛び出したことが二度ある。一度目は病院帰りのコーヒーショップ、二度目は殴った後。走って飛び出し、自分を責め、でも一人は嫌だと戻ってくる。そしてジョニーに叱られ「もう二度としない」と素直にごめんなさいをしている。この時のマックはまるで親に叱られた子供のようにしょんぼりしている。

自分の家や家族に憧れていたマックにとってジョニーは失いたくない「伴侶」で大切な「坊主」だった。そしてマックは精神を病んだ人を理解することはできないとジョニーと出会った時から思っている。それは変わってしまった母を知っているからだ。理解できなくてもいい、それが当たり前の前提としてあることでマックはジョニーと8年も一緒にいることができた。理解したい、理解し合いたいと思う人ならジョニーの行動や言動にイラついて怒るところも、マックは「疲れた」と諦めることができた。

マックが唯一怒りジョニーを殴った場面、マックは粗野だが今まで一度としてジョニーを殴ったことはなかった。物を殴ることはあっても、人は殴ってはいない。あれは「怒り」ではなく「嫉妬」なのは読んでいる私たちにはわかるが、マック自身はそれを信じたくない。首筋のこりや芳しくない食欲、やりたくもない殺しの仕事。本人も気づいていないジョニーへの欲求を女を抱くことで発散し(ほとんど金髪)スッキリした気持ちでジョニーをベッドに迎え入れる。マックが女を抱くときは人を殺す前後、不安で混乱している時、極度のストレスを紛らわせるためセックスをする。

マックはジョニーを頼っていた。そして母を失った彼にとって、精神を病んだジョニーを見捨てることは自分の母を捨てるにも近い恐怖と罪悪があったのではないだろうか。3人の主人公達の中で、マックは苦悩を抱える人だ。自分の弱さに嘆き苦しみ、最善を尽くしもがく。失った母の優しさと恐怖を抱えながら生きる、人間らしい男なのだ。

 

父を恐れる子供ジョニー

ジョニーの過去には父親が出てくる。母もいるが空気に近い。両親はジョニーが高校を卒業する直前に死亡し、ジョニーがどんな経緯で軍に入ったのかは分からない(ヴェトナム戦争時徴兵制はあった)

ジョニーの家庭はキリスト教根本主義プロテスタント)父は牧師だった。私は宗教に詳しくはないが、物語を読むと極端な教えと体罰の恐怖の中ジョニーが育ってきたことがわかる。そしてマックが推測するように幼いジョニーを抱きしめる人は誰一人いなかった。

ジョニーはマックと比べるとスキンシップをおずおずと、控えめにとっている。本当はもっと触れてほしい、触れたいと思っていても、躊躇いがちなのは慣れていないからだろう。おそらく唯一安心して触れ合うことができたのが犬のラッフルズだ。だからこそジョニーはラッフルズのことを「僕の分身」と呼んでいた。

ジョニーの精神は幼い頃から刷り込まれた父の教えで成り立っている。私のとても親しい友人に元エホバ2世の人がいる。彼は生まれた時から入信させられ思春期に自力で脱会した。幼い頃、世界はサタンに支配されていると信じ、本当に怖かったと言っていた。そして布教活動のため親と近隣をまわり、傷つくような扱いを受けると「なぜ神は助けてくれないのかと本気で思っていた」と笑いながら自嘲気味に話してくれた。大人になった今でも誕生日を祝うこと、初詣に行くこと、周りの人たちがしていることをしようとするとザラついた違和感がまとわりつく。幼い頃から染み付いてきた教えを振り払うのは本当に困難なことだ。ジョニーはマックと共に過ごす中で、父からの教えを何度も振り払おうとしている。だが二部では完全に振り払うことはできず、自分なりの解釈に落とし込み行動に変えている。

金を盗む時、父の言葉を振り払いながら「盗み」ではなくマックを助けるための「正しいこと」だと自身の行動を善に肯定している。アルとフランクを殺す時も親たちが行っていた「聖なる使命」と同じ、善と悪になぞらえ動く。“悪かろうが行う”のではなく、神の教えの中、善だと肯定し動いている。

しかし三部になるとジョニーの中の神は父の説く「主イエス」ではなく「マック」へと上書きされる。神の上書きに成功したジョニーは父の恐怖を記憶の彼方に押しやりマックに金色の光をみる。面白いことにマックもジョニーに金の光をみている。互いに金色に輝く光をみつけ、それに焦がれ愛しんでいる。物語の中でジョニーの視点で語られる場面は非常に少ない。ほとんどがマックとサイモンの視点で進んでいく。だからこそ、数少ないジョニーの視点で見る場面は印象深くそこにはいつも父の教えとそれを振り払い自分の意思で進み考えるジョニーの葛藤と成長、そして彼のマックへの一途な想いをのぞくことができる。

おそらくジョニーは生来何かしらの特性を持った子供だったのだろう。知能が高く、こだわりが強い、人との会話も元々苦手のようだ。精神を病んだことにより、恐怖と混乱、子供のような言動になっているが、優しさは生まれ持ったものだろう。この話にはジョニーのように世間から変わり者とみられ、軽蔑のように素通りされる少年が出てくる。サイモンにマックの顔を教えた少年ビリーだ。病気か薬の副作用で肉の塊と表現される少年にマックは気軽に声をかける。マックは幼い頃母が軽蔑や侮蔑に晒されるのをみてきただろう。だからこそヴェトナムでジョニーに自然に接することができ、トランプ遊びをする少年に「いい人」と評されたのだ。ジョニーを対等なパートナーと捉えるマックらしいエピソードでもあり、それがサイモンにヒントを与えてしまう皮肉な場面だ。

マックはジョニーが自分の感情を外に伝えるのが苦手なことを分かっている。ジョニーが初めてマックの隣に寝たいと言ったのはアルとフランクを殺した夜だった。彼は淡々と事実だけを述べるが心の奥では不安と恐怖がわき起こっている。かろうじて伝えることができたのは「一人になりたくないんです」だった。集金の仕事でジョニーが相手を殴った後もマックは「大丈夫か?」「本当に?」と彼の心を心配している。ジョニーがマックと一緒に寝ようとするとき、そのほとんどが誰かを殺した後だ。ジョニーの心は人を殺す度傷つき、マックと寝ることで持ち直している。マックはそれを分かっているからこの生活から抜け出そうともがく。

けれど同時に、ジョニーはマックと過ごすことで心に余裕がうまれていく。一部終盤ではジョギングを満喫し「ご老人」と茶化した会話を楽しんでいる。さらにマックとフリスビーを投げ合い一緒に遊ぶという行動もとっている(41と33の男二人がフリスビーで1時間も遊べることに驚く、微笑ましい)三部冒頭ではマックと同じタバコを吸い、注意するマックに皮肉のきいた返しをする。会話を楽しめるというのは一緒にいるマックにとっても楽しい事だ。物語序盤、保護される対象だったジョニーは時間が進むにつれ対等のパートナー、伴侶になっていく。しかしサイモンにマックを殺されたことで、ジョニーは自身の中にあった神にも等しい支えを失う。エピローグのジョニーはどんな精神状態なのだろうか?

サイモンに突きつけた銃を下ろしたことで、ジョニーは「生きていく」決断をした。軍にいた頃、マックが帰国することを知ったジョニーは一人で軍に残るのは耐えられないと自殺を試みたが、三部終盤では生きることを選んでいる。マックを失ったジョニーはサイモンにマックの代わりを勤めるよう伝えるが、エピローグから二人が心を通わせている描写はない。

マックはジョニーの中で本当の神になったのだ。死んでしまった人は神格化され誰も追いつけない。ワイルド・マイクも死んだことで「ヒーロー」になったといえる。ジョニーの小さな小さな閉じた世界の中でマックはいつまでも金色に輝きつづけ、ジョニーはマックが消えてしまわないよう《モナ・リザ》をかけ続ける。

音楽は記憶を刻む。若い頃同じ場所でよく聴いた曲、昔誰かと一緒に聴いた曲。曲には思い出が刻まれる。その曲を聴くと、不思議と当時の感覚を思い出し、まわりの匂いも年齢も心も全てがその時に戻っていく。きっとジョニーは《モナ・リザ》を聴くたびヴェトナムの夜を思い出すのだろう。そしてジュークボックスで流した時驚いたマックの顔が浮かび、「あの曲をかけてくれてありがとう」と言った穏やかな声が聞こえてくる。

父に怯える傷ついた子供だったジョニーはマックと出会うことで自分の世界を確立し成長していく。どんなに恐ろしい世界でもマックが守ってくれる安心と温もりに包まれ、ジョニーは盲目的にマックに愛を与え、肯定し続ける。しかしマックはジョニーを大人になるよう仕向けなかった。ワシュに「子ども扱いするのをやめたら」と忠告されたがジョニーが子供のままでいることを良しとした(自分を必要として欲しかった)そのことがジョニー自身を「一人では生きていけない」という思い込みと立場に追いやり、サイモンを殺すことを断念させた。ジョニーは大人になれない子供だ。常に保護者を必要とし、自分を守るため、世界から逃げるため、微笑み続ける。ただ、誰も覗くことのできないジョニーの閉じた世界では金色に輝くマックがいつまでも「大丈夫だ、坊主」と彼を抱きしめてくれるのだろう。

 

役割を捨てた男サイモン

サイモンは夫であり父だった男だ。

生まれ育った家庭から独立し、妻と子、仕事仲間がいる。20歳で結婚し、物語登場時35歳。ジョニーと同じか1つ違うぐらいだ。彼の故郷ボストンがあるマサチューセッツ州アメリカの中でもユダヤ人が多い州となっている。父はユダヤ教のラビ(宗教的指導者、立場としてジョニーの父に近い)ジョニーと比較すると厳しい教えや体罰といった類の話は出てこない。仕事や妻を良くは思われていないが交流はある、この家族を円滑にまわしているのは兄マニーだ。おそらく長子であるマニーは父の期待を背負い、父の納得のいく職についている。サイモンが自由に動けるのは兄がいる点も大きい(ジョニーは親の期待と攻撃を一人で受けていた)

物語の第一部マックとジョニー2人が繋がりを作る流れに対して、二部のサイモンは持っている繋がりを失っていく立場にある。登場人物の欄にある名前はほとんどがサイモンの関係者だ(マックとジョニーに直接関係する人物はワシュしかいない。二人がいかに閉じた世界で生きているかが分かる)

初見でサイモンを好きになる読み手は少ないだろう。この男さえいなければ!こいつのせいであんな結末に!と思う人は多いはずだ。

だが、サイモンの人生を振り返ってみてほしい。彼とマイク・コンロイは8年間パートナーだった。8年という月日はマックとジョニーが出会い別れを迎えたのと同じ年月だ。マックとジョニーが繋がりを深めていった年月と同じ時間、サイモンはマイクと共に仕事をし、ソフトボールを投げ、マイクの子供の誕生を喜び、彼の家の庭に二人で東屋を建てた。マイクの年齢は分からないがサイモンより年下だろう(アイルランド移民の不良少年と表現されている)サイモンにとって可愛く頼れる弟のような存在だったろう。それが思いもかけない事態により相棒を失うことになる。腕の中で息を引き取るマイク、助けてやることのできない無力感、受け入れられない現実。犯人を見つけようと躍起になることも理解できる。

サイモンは自分を支えようとする人たちの繋がりをどんどん失っていく。妻キンバリーとの仲は元々良好というわけではない。家を出る時彼が持ち出そうと思えるものは少なく、内装も全て妻の意向で出来上がっているところが彼の居場所のなさをよくあらわしている。ただこれはサイモンが仕事にのめり込みすぎるあまりキンバリーとの関係がこの形におさまったのかもしれない。娘に対しても愛情はあってもどのように接していたか分からない。サイモンは家族は自分のことを理解してくれている、納得してこの生活を過ごしていると思っていただろう。

物語の中でサイモンは周りが自分を理解してくれないことに苦しんでいる。どうしてわかってくれないんだ?「理解されない孤独」が彼をより事件へとのめり込ませる。彼は妻も娘も今までずっと理解してくれている、と思っていた。そのズレが大きな裂け目となり彼を暗い谷底に突き落とした。

読み手にとってサイモンは二部に突然現れた男のためマックとジョニーに感情移入していた人間はサイモンの立場を想像しにくい部分もある(それでも二部冒頭の疾走と展開は、あっという間に私たちをサイモンの生活に没入させる)彼は仕事と家庭を持つ、第一部の2人と比較すると一般人に近い立場にある。帰る家があり、支えてくれる仲間がいる。危険だがやりがいのある仕事をもつ一人の男が一つの事件をきっかけに精神を病み孤独に落ちていく。「夫」や「父」という家庭の役割を捨て、一人の男として事件を追う。しかし生家を訪れれば彼は「息子」であり「弟」でもある。ジョニーと共に歩くサイモンはこれからどんな役割を背負うだろう。

サイモンはジョニーが自分を理解してくれると思っていた。いつも周りに理解を求めるサイモンは自分を理解してくれないジョニーに対し「ちっとは優しい気持ちになれんのか」とエピローグで怒りをぶつけている。助けたと思ったジョニーは殺したマックとできていたかもしれない、自分の方を向いてくれると思っていた怯える子供は驚くほど無関心で無反応だ。思ってたんと違う!

目的を失い、頭のぼうっとした男の子守りをしながら時間を過ごす。失っていった繋がりを新たな繋がりで補うため彼はジョニーの「父」として、もしかすれば「夫」として再び役割を背負うのかもしれない。

 

3人の忠告者

主人公達が苦悩する中、彼らに忠告を与える人物がいる。道の先が見えない時「こっちに戻ってこい!」と引き止める物語の良心だ。この忠告者達は作者の伝えたいことの一端を担っている。

 

厳しくも親身なワシュ

マックの軍時代の友人ワシュは一部冒頭から登場し、マックのポーカー仲間でもある。

マックに対しては好意的だがジョニーのことは嫌煙している。「ぐず野郎」と言い、早く病院に入れるようマックに忠告する「彼には助けが必要です」と。ワシュにとってみれば付き合いの長いマックがなぜあんな男に肩入れするのか分からない。しかも素人が背負い切れるような病状じゃない。一部中盤に再度登場した時もワシュは忠告する。辛辣な物言いだがマックを心配し更生させようともしている。

「なぜあなたなんです?」「あなたはいつだって身動きがとれなくなってた」「また新しい穴場を捜す」「あなたが子供扱いするのをやめたら」ワシュはマックの行動や悩み核心を突く。生き方を見直せ、やろうと思えば何でもできるはずだ「しっかりして下さい、マック」とまで呼びかけている。この忠告を振り切りマックとジョニーは殺し屋へと落ちていく。

 

女神シヴォーン

マイクの妻シヴォーンはある意味完璧な人物だ。

哀れな3人の男、癖の強い脇役の中でマイクとシヴォーンは理想的な夫婦として描かれている。ヒーローとなったマイクの欠点といえば引き出しの中が汚いこと、サイモンの家の花瓶を割ったことぐらいだ。シヴォーンに至っては欠点が見当たらない。

シヴォーンはサイモンの現状を心配し言葉を選びながら気持ちを伝えるが彼の中にあった最後の希望を打ち砕いてしまう。この容赦ないやり取りは悪意を持って行われたわけではない。サイモンに元の生活に戻ってほしい、家族に目を向けてほしい、という思いから始まっている。

シヴォーンの言葉はマイクの言葉でもあり、この物語に流れるテーマを訴えている。マイクはサイモンのことを「愛していた」それ故に心配していた。良きパートナーとは「結婚」に等しいと表現している。伴侶は共に生きていく人だ。生きていく中で意見が食い違うことも、相手に不満を持つこともあるだろう。その都度フォローし合い、時には我慢し、すり合わせ、マイクはその技能が抜群に長けていた。サイモンのことを心配するからこそ家に帰っても悩みを話し、愚痴も言っただろう。妻にとってみればサイモンは夫を悩ませる種でもあるが、夫がサイモンを大切に思っていることも分かっている。

ジョニーもマックを悩ませる種だ。けれどマックはジョニーのことを大切に思っている。多少の不満や苛立ちがあっても共に生きていこうと手を取り合っている。

「二人の人間がまったく同じように考えるわけにはいかないのよ」

シヴォーンのこのセリフは「同じ」であることを重視するサイモンにとって衝撃の言葉だった。シヴォーンの意図を外れ、この言葉はサイモンの心を破壊し彼を別の方向に走らせる。

 

賢人マニー

サイモンの兄マニーは最後の忠告者だ。登場場面は非常に短いが大きな投げかけをしている。

「そのあとはどうする?」

この言葉はサイモンが三部でジョニーに会う度に彼の心の中に何度も現れ、彼の理性を守り、試し続けた言葉だ。最終的にサイモンは顔を腫らしたジョニーを見つけたことで限界を超えてしまう。

兄マニーは精神科医だ。多くの患者をみてきただろう。サイモンの家族であるマニーは彼が彼らの家に帰ってくる日を待っているはずだ。

 

さいごに

思いつくまま気になったことをつらつらと書いてしまった。

『真夜中の相棒』は哀れな男たちの物語として、ブロマンスやゲイサスペンスなど色々な括りで語られ話題にのぼる。私が初めに興味を惹かれたのもその部分だったが、読み終わってみるとこれは心にどうしようもない傷を抱えてしまった人たちの物語だと感じる。

うまく社会生活ができず、助けをつかむこともできない。なぜテリー・ホワイトがこのテーマを書こうと思ったのか?彼女はヴェトナム戦争の傷跡が残る男達を多く描いている。当時のアメリカ社会の世相なのか、それとも彼女のそばに傷つく人がいたのか。そんなことを考えてしまう。ジョニーを支えるマックの疲労のリアルさ。慢性的な首すじのこり、食欲の減退、あきらめ、疲れ、ストレス、頭痛もある。実際に精神疾患の家族を支える人たちの身に起こることだ。

読み終わって一ヶ月以上経っているというのに、未だ彼らのことを考えてしまう。叶うなら、文藝春秋にこの本をもう一度再々販してほしい。気になった人が簡単に店頭やネットで買えるように、せめて電子書籍でもいい。

 

ぼんやりした青い瞳のジョニー、タバコを咥えた背の高いマック、鋭い目に悲しそうな顔をするサイモン、うまく生きることのできない3人の男たち。私は彼らをとても愛おしく感じている。

エピローグの先を考える『真夜中の相棒』

テリー・ホワイトのこの本を読んだ人は誰もがエピローグの先を思ったはずだ。

海岸に足跡をつけ強い日差しの中を歩く二人。彼らはどこへ行くのか?

ヒントは第一部のジョニーの台詞の中にある。

ここから下の文章は全てネタバレの上、私の勝手な解釈となるのでご注意ください。

 

 

 

本を閉じるとナット・キング・コールの《モナ・リザ》を聴きたくなった。

絵は見たことはあっても、曲は知らない。手持ちのサブスクで繰り返し繰り返し聴きながら、もう一度始めからパラパラと読む。ついでに曲の歌詞を調べてみた。

このモナ・リザは……ジョニーのことじゃないか!?本文にある歌詞の引用だ。

 

……それともこの微笑は打ちひしがれた心を隠すためのきみの癖なのだろうか……

 

Mona Lisa

Mona Lisa

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ヴェトナムの夜、ジョニーのそばでマックが歌うこの歌は物語全体を暗示し一部の冒頭、三部、そしてエピローグに現れる。

取り繕うため、隠すため、曖昧に微笑む姿に男たちは虜になっていく。

無性に庇護欲を掻き立て、俺がいなければと思わせ、サイモンはジョニーのためとマックを殺す(自分の孤独を埋めるのが本心でもあるが)サイモン、それはお前の勘違いなんだよ!確かに外から見ればマックとジョニーの関係は、マックが可哀想なジョニーを操っているようにしか見えないだろう。

サイモンとジョニーは互いの相棒を失い、失った人の代わりとして隣にいる。これがエピローグだ。この「失った人の代わり」について、一部でジョニーが話しているのだ。

ジョニーが幼い時に飼っていたラッフルズという犬の話を思い出してほしい。

 

ラッフルズの話は唐突に現れる。

テデスコの手下にジョニーが手首を折られた時。理不尽に晒され身の内にわきあがってきた怒りが子供の時の怒りにつながり出てきたと考えられるが、この「僕の犬を殺したんです」はあまりにも突然なのだ。

他の過去エピソード、例えばハイスクールの答辞はアルとフランク殺害後にもマックがジョニーがばかじゃないことを女に説明する時に出てくる。また一部初め、ジョニーが女とのキスに恐怖する場面は、三部の「セックスとなると子供みたいだ」とマックが思う内容につながる。

ところがこのラッフルズの話は、病院、狙撃の練習をした森、この2箇所でただの昔話として完結している。だが、物語を最後まで読むとこの時のジョニーの言葉が結末につながっていく。全文引用とはいかないので、要点だけ書くとこうなる。

  • 代わりの犬は仕方がないから飼っていた、誰かが面倒を見る必要があった
  • 一人でいるよりはマシ
  • でも代わりの犬のことは大して心配はしなかった

最終的に代わりの犬はどこかへ行ってしまうが、ジョニーは気にしなかった。つまり代わりの犬は行方不明のままほったらかしになったのだ。「僕の分身」ではない犬のことなんて、興味はない。

 

この代わりの犬は、相棒の代用品となったジョニーとサイモン二人のことだ。

サイモンは一人になっていく孤独に耐えかね、マックからジョニーを奪う(サイモンの視点では救ったつもり)だがそれはかつての相棒マイクではない。一人で生きていけないジョニーはマックの代用品として手を挙げたサイモンの申し出を受けた。しかしそれは「僕の分身」に等しいマックとは異なる人間だ。

ラッフルズの話から考えると、二人とも代用品に本心からの興味はないのだ。

エピローグではジョニーがマックからサイモンに乗り換えた、誰でもよかったのか?というような印象を受けるかもしれない。

私はそれは違うと思っている。

ジョニーは「自分は一人では生きていけない」と思い込んでいる。そう思わせてしまったのはマックだ。そして一人は嫌なのだ。ジョニーは自分が生きていくためには誰かといなければいけないと学習した。そのための代用品としてサイモンを選んだ。

 

「マックはいつも僕にそうさせてくれてたんです」

 

これはジョニーからサイモンへの要求だ。マックと同じようにしてほしい、マックが自分にしてくれたのと同じことを、あなたは僕にするべきだ。

サイモンは事あるごとにこのセリフを言われるだろう。常に前任と比べられるのはキツイ。しかもジョニーはその前任のことを愛していた。そしてサイモンに対して興味がないことがエピローグの中から読み取ることができる。

サイモンはジョニーと暮らした三週間「孤独」を感じている。しかも身に染みて!

他人と一緒にいるのに感じる孤独は一人きりでいる孤独とは異なる自分の全てを拒絶されるようなものだ。隣にいるのに全く理解できずつながることも出来ない。苦痛だ。こちらの話には応じず、相槌も打たない、そして要求のみ伝えてくるジョニー。ジョニーはサイモンを見つめるつもりがない。見えていない。

エピローグでは相手の考えに従うジョニーお決まりのフレーズがサイモンに返される。だがこれはマックに対する時と意味が異なる。

三部最後にマックに返したフレーズ「あなたの望むことをしたい」

これは例えば恋人が夜景が見たいと言えば、自分は興味がなくても一緒に行こうと思うだろう。子供がアンパンマンが見たいと言えば、興味はなくてもアンパンマンショーに連れていくだろう。愛する人の喜ぶ顔が見たい、それも一番の隣で。

サイモンに言った言葉は投げやりだ。「何でもいい」

ジョニーは自分が生きていくためにサイモンと一緒にいる。相手の機嫌を損ねない一番の方法は合わせることだと思っている。

マックが死んだ後、テレビで昔の写真が映っても無反応だったがそれはジョニーが外に自分の心を知らせる術を失ったからだろう。ヴェトナムで放心状態と思われていた時もマックの言ったことを覚えていた。

ジョニーは自分で考え行動している。

金を盗んだのも、アルとフランクを殺したのも、自分で考えている。そして、眠るサイモンに銃を突きつけ、降ろすことを決めたのもジョニーの意志だ。サイモンに従って生きていこう、だがサイモンに興味はない。これがジョニーの状態だろう。

 

 

サイモンはどんな状態だろう?

サイモンはエピローグで「警備会社で働こうか」と口にしている。前職を考えると適任な上、彼はマックと違い真面目に働くことのできる男だ!こんな事態になるまでは社会生活を送っていた。おそらくジョニーとサイモンの生活はマックと過ごすより安定したものになるだろう。金を使い込むこともなく、互いに孤独を感じながら一人よりはいいと思い、食事を取ったり映画を見に行ったりするだろう。ジョニーも一部でやっていたように皿洗いの仕事をするかもしれない。

だが、生活が安定しサイモンの精神状態が落ち着いてくると周りを見ることができるようになる。そして家族の事を思い出す時がくるはずだ。公園でフリスビーをする親子、レストランで食事をする娘と歳の近い子供、そして心配しているであろう兄マニー。

彼はコミュニティの中で生活していた。その良さを、自分を気遣ってくれる人のあたたかさを知っている。兄マニーはサイモンを待っているだろう。もしかしたら職場の刑事仲間も心配しているかもしれない。隣にいるぼうっとした青い瞳の男は前任のマックの影を追い求め、自分自身のことは見てもくれない(ジョニーは内心ずっと「彼が僕のマックを殺したんです」と思っている可能性がある。三部冒頭に物事を忘れないようにしようと厳粛に誓っている)

しかもサイモンは自分を理解してくれる人が好きだ。

マイクは自分を理解してくれていると思っていたし、その気持ちが残らず消えた後は金髪野郎と自分は宇宙的に繋がっていると思い込んでいた。理解し合えているというサイモン特有の思い込みは、ジョニーには通じない(マックはジョニーのことを理解できるはずもないと思っていた、ここがサイモンと大きく違う)

 

そうなった時、ラッフルズの話に繋がる。仕方がないから飼っていた代わりの犬。

サイモンにとってもジョニーは代わりの犬だ。

なんらかの仕事をし、他者と繋がって行く中で、サイモンが仲間たちの元に戻ることになれば(フロストを殺したのはマックということになっている。仮にジョニーが浮上したとしても精神疾患でマックの指示のもと動いていたところを保護したとなるだろう)ジョニーは病院に入ることになる。サイモンは一応常識的な人間なので、ジョニーを路頭に放り出すことはしないだろう。入院しているジョニーを時々見舞いには行くかもしれない。哀れなジョニーと思いながら。

だがもしジョニー自身が拒んでサイモンの元から逃げ出せば、サイモンは追わないだろう。

ある日代わりの犬がいなくなったとしても、気にならない。もしかしたらジョニーはふらふら何処かに行ってしまうかもしれない。

そしてジョニーは世界に怯えながら声をかけてくる人にモナ・リザのような微笑を返す。その微笑に魅了された男がまたジョニーの世話をする──

 

ならば私はどのようにして

人や神のもたらす苦悩に立ち向かったらよいのでしょうか

おのれの創ったものでない世界で

よそ者として怖れおののくこの私は。  A・E・ハウスマン

 

マックはジョニーを世界の恐怖から守ってくれる大きな家だった。

怖くなれば隣で「大丈夫だ、坊主」と言ってくれる。その家の中でジョニーの心は安定していった。社会から断絶したとしても、マックは自分がその入り口となり生きていくつもりだっただろう。それはマック自身、家が必要だったから。

サイモンはジョニーにとって雨風をしのぐための仮宿だ。そしてサイモンにとっても、ジョニーは自分の求める安息の家とは違うということに気づくだろう。

 

できるならマックと共に生きる未来を……読んでいた誰もが願ったと思う。

けれど冷静に考えるとマックとメキシコに行ったとしても、マックはポーカーをやめない。ギャンブル依存症のマックはどこへ行っても借金を作るに違いない。

もともとこの話はどう転んでも破滅しかない、主人公達はヒーローではなく哀れな一人の男として描かれている。その中で必死にもがき上手く生きていくことのできない哀しみと輝きが胸を打つ。

 

 

ここまで書いたが、私の中のこの物語の情熱はまだ消化されない。

エピローグの先を想像し、読み返すと違った発見がある。

例えばジョニーの好きな色はブルーだ。車や服にその好みが反映されている。

では、マックは?

マックの服装を追っていくと、彼はグリーン(暗め)をよく着ている。互いの瞳の色だ。

じゃあサイモンは?

実はサイモンの服の描写は無彩色が多い。葬式の黒、査問会のグレー、ポン引きに変装する時の白(シャツはブルー)イメージカラーを持っているジョニーとマックに対して、彼は色がない。

ところが、エピローグでサイモンはカーキのズボンを履いている。まるでマックのグリーンが移ってきたように。まぁ、レジャー気分なので履き古したリーヴァイスとはおさらばしたのだと思うが、もしズボンを買うときに「マックはよくグリーンを着ていました」とジョニーに言われてこの色を選んでいたとしたら……と想像するとサイモンが哀れになる。

他にも食事の描写も気になった。

そして「主人公達はヒーローではない」と書いたが、物語の中で唯一「ヒーロー」と呼ばれた男がいる。ワイルド・マイクだ。

とにかく気になる点はまだまだあるので、これはまた分けて書くことにする。

彼の目から世界はどう見えるのか『真夜中の相棒』

#辛くて二度と読めない本 そんなタグを見かけた。

どんな本だ?と思って流し見をしていた中にこのタイトルがあった。

あらすじを読むとBANANAFISHを彷彿とさせる予感があり図書館で借りることにした。

この本は売っていない!恐ろしいことに絶版だった。

返却日が迫り、手元に留めておくことができない今、この気持ちをどこかに記録しなければいつか私の中からボロボロと出ていってしまうかもしれない。

そんなわけで、この話の紹介と感想(エピローグの先について)を2つの記事に分けて書くことにした。

 

 

 

 

テリー・ホワイト 「真夜中の相棒」 初版1984年

 

舞台は1960年代後半〜70年代前半アメリ

ヴェトナム戦争に突入し、モノクロとカラーTVが混在し、病院の待合室だろうがどこだろうがタバコを吸うことができる時代。二人組の殺し屋マックとジョニー。

いつもと同じようにターゲットの部屋を訪れたジョニー。

部屋の扉が開き、いつものようにターゲットを撃ち殺す。けれどその日、その部屋にはもう一人予定外の赤毛の男がいた。

ジョニーは淡々とその赤毛の男も撃ち、現場を後にする。

しかし、ジョニーが殺した予定外の男マイク・コンロイは潜入捜査をしていた刑事だった。マイクの相棒サイモンは、マイクの残した言葉「金髪の背の高い男」を必ず見つけ出すことを誓う。

坂を転がり落ちるような生活の中、互いを必要としていくマックとジョニー。相棒を奪われ、全てをかけ二人を追うサイモン。

 

 

もうこのあらすじだけで読みたくなるはず。本当に素晴らしい。

ネタバレしない程度の登場人物の紹介はこちら。

 

 

マック(アレグザンダー・マッカーシー

190cm超えのすらっとした男。茶色い髪に緑の瞳、深みのある声をしたハンサムおじさん。酒と女とタバコが好きなポーカー狂。とにかくポーカー狂。そのポーカーをやめろ!

ジョニーと出会った時は35歳。軍人生活15年。

それなりに愛想が良く、面倒見がいい。ジョニーのことを「坊主」と呼ぶ。

自分のダメなところ、弱いところを分かっている。

殺しの窓口担当。資料の読み込み、下調べを行う。

 

 

ジョニー(ジョン・ポール・グリフィス)

185cmぐらいのすらりとした男。カールした金髪にガラスのような青い瞳の青年。

近眼でパイロット型色眼鏡をかける。

マックと出会った時は27歳。登場時点で戦争により精神が病んでいる。

他人が怖い。返事をしない。まるで子供のような言動。服を脱ぐ描写が多い!

ヴェトナムで自分に声をかけ、助けてくれたマックに懐いている。

マックが世界の全て。ダーツがめちゃ得意。

西部劇とテレビ、アイスキャンディー、ピザ、青い色が好き。

殺しの実行犯。正確に対象の額を撃ち抜く。

 

 

サイモン・ハーシュ

相棒マイク・コンロイを殺された刑事。茶色いカールした髪に青く鋭い目。妻子あり35歳。

ストイックな男。八年間パートナーを務めてきたマイクを本当に大切に思っている。勝手な主観だが、サイモンにとってマイクは太陽のような存在だったに違いない。

 

 

マイク・コンロイ

物語の中での登場は少ないがサイモンの相棒。赤毛に茶色の瞳。仲間にはワイルド・マイクと呼ばれる、悪党も処女も相手にするのは大得意。妻子あり。サイモンよりは若い。

 

 

この話は プロローグ、第一部〜三部、エピローグ という作りになっている。

プロローグは事件の発端

一部は時間を戻し、マックとジョニーのヴェトナムでの出会いから、軍をやめ二人の生活が始まり、殺し屋へと身を落としていく過程。マックの苦悩とジョニーという人物、二人の近づいていく距離が描かれる。

二部はサイモンの話。相棒を失った男が全てをかなぐり捨て、犯人の手がかりを探し、

一歩ずつマックとジョニーへ近づいていく様に興奮が抑えられない。

三部は非常に短い。本当に短い、60ページぐらい。けれど、この短さの中に三人の男たちの交錯する思いと動きがこれでもかと詰め込まれ、もう心が何度悲鳴をあげたか分からない。

そして結末とエピローグに全てを持っていかれる。

ハードボイルドでノワールみがある時点で、読む前からあらかたの想像はつくかもしれない。それでもこの3人の行く末を見届けたくなる。

3部に入ると、あまりにも残り少ないページを一枚一枚めくるたび、ハラハラする。そしてあたたかく切ない、優しい気持ちが時折駆け巡る。

 

 

 

この話が予想以上に私の中にずしんと来たのには理由がある。

私の家族は精神病院に入院していた。閉鎖病棟で、会いに行くと面会室に通された。

誤解のないように書いておくと、看護師も担当医もたくさんの人が支えてくれた。よりそってくれたし、一緒に問題を考えてくれた。

私は病気になる前の家族を知っている。よく話し、笑い、一緒に外に出かけた。

でも病気が酷い時の家族は外や人を怖がり、私は自分が誰と話しているのか不安になった。

ヴェトナムでああなってしまう前のジョニーはどんな人だったのか。それはジョニー自身が時折思い出す過去の話からしか分からない。

マックが他の人間にジョニーのことを説明する言葉がある。

 

  適当に戦争をやり過すことのできる人間もいます

  できない人間もいる。ジョニーは不向きだったんです

 

戦争の只中に身を置くことはなくても、たまたま自分の置かれた環境が不向きだった人間はいる。私はこのマックの言葉を読んだ時、心が傷ついて疲れ切ったたくさんの人が今この時代にもいると思った。

マックとジョニー、二人の交わす会話は切なくも優しい。

 

  「僕は頭がへんてこりんなんですか?」

  「いや、もちろんちがうよ。ときどきおかしな真似をするがそんなことはなんでもない」

 

マックはジョニーのことを “理解できるはずもない” と思いながら、隣にいる。

隣にいるが、同じ世界を見ることはない。お互いが相手を思いながら少しずつズレている。それでも一緒にいたいのだ。

私はマックの言葉や行動に自分の心が救われる気がする。

弱さに苦悩し、苛立ち、その中で必死に生きていく姿が愛おしい。

そして叶うなら、ジョニーにとって世界が怖くないといいのにと願ってしまう。