takE’s diary

テリー・ホワイトの感想を書きます

エピローグの先を考える『真夜中の相棒』

テリー・ホワイトのこの本を読んだ人は誰もがエピローグの先を思ったはずだ。

海岸に足跡をつけ強い日差しの中を歩く二人。彼らはどこへ行くのか?

ヒントは第一部のジョニーの台詞の中にある。

ここから下の文章は全てネタバレの上、私の勝手な解釈となるのでご注意ください。

 

 

 

本を閉じるとナット・キング・コールの《モナ・リザ》を聴きたくなった。

絵は見たことはあっても、曲は知らない。手持ちのサブスクで繰り返し繰り返し聴きながら、もう一度始めからパラパラと読む。ついでに曲の歌詞を調べてみた。

このモナ・リザは……ジョニーのことじゃないか!?本文にある歌詞の引用だ。

 

……それともこの微笑は打ちひしがれた心を隠すためのきみの癖なのだろうか……

 

Mona Lisa

Mona Lisa

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ヴェトナムの夜、ジョニーのそばでマックが歌うこの歌は物語全体を暗示し一部の冒頭、三部、そしてエピローグに現れる。

取り繕うため、隠すため、曖昧に微笑む姿に男たちは虜になっていく。

無性に庇護欲を掻き立て、俺がいなければと思わせ、サイモンはジョニーのためとマックを殺す(自分の孤独を埋めるのが本心でもあるが)サイモン、それはお前の勘違いなんだよ!確かに外から見ればマックとジョニーの関係は、マックが可哀想なジョニーを操っているようにしか見えないだろう。

サイモンとジョニーは互いの相棒を失い、失った人の代わりとして隣にいる。これがエピローグだ。この「失った人の代わり」について、一部でジョニーが話しているのだ。

ジョニーが幼い時に飼っていたラッフルズという犬の話を思い出してほしい。

 

ラッフルズの話は唐突に現れる。

テデスコの手下にジョニーが手首を折られた時。理不尽に晒され身の内にわきあがってきた怒りが子供の時の怒りにつながり出てきたと考えられるが、この「僕の犬を殺したんです」はあまりにも突然なのだ。

他の過去エピソード、例えばハイスクールの答辞はアルとフランク殺害後にもマックがジョニーがばかじゃないことを女に説明する時に出てくる。また一部初め、ジョニーが女とのキスに恐怖する場面は、三部の「セックスとなると子供みたいだ」とマックが思う内容につながる。

ところがこのラッフルズの話は、病院、狙撃の練習をした森、この2箇所でただの昔話として完結している。だが、物語を最後まで読むとこの時のジョニーの言葉が結末につながっていく。全文引用とはいかないので、要点だけ書くとこうなる。

  • 代わりの犬は仕方がないから飼っていた、誰かが面倒を見る必要があった
  • 一人でいるよりはマシ
  • でも代わりの犬のことは大して心配はしなかった

最終的に代わりの犬はどこかへ行ってしまうが、ジョニーは気にしなかった。つまり代わりの犬は行方不明のままほったらかしになったのだ。「僕の分身」ではない犬のことなんて、興味はない。

 

この代わりの犬は、相棒の代用品となったジョニーとサイモン二人のことだ。

サイモンは一人になっていく孤独に耐えかね、マックからジョニーを奪う(サイモンの視点では救ったつもり)だがそれはかつての相棒マイクではない。一人で生きていけないジョニーはマックの代用品として手を挙げたサイモンの申し出を受けた。しかしそれは「僕の分身」に等しいマックとは異なる人間だ。

ラッフルズの話から考えると、二人とも代用品に本心からの興味はないのだ。

エピローグではジョニーがマックからサイモンに乗り換えた、誰でもよかったのか?というような印象を受けるかもしれない。

私はそれは違うと思っている。

ジョニーは「自分は一人では生きていけない」と思い込んでいる。そう思わせてしまったのはマックだ。そして一人は嫌なのだ。ジョニーは自分が生きていくためには誰かといなければいけないと学習した。そのための代用品としてサイモンを選んだ。

 

「マックはいつも僕にそうさせてくれてたんです」

 

これはジョニーからサイモンへの要求だ。マックと同じようにしてほしい、マックが自分にしてくれたのと同じことを、あなたは僕にするべきだ。

サイモンは事あるごとにこのセリフを言われるだろう。常に前任と比べられるのはキツイ。しかもジョニーはその前任のことを愛していた。そしてサイモンに対して興味がないことがエピローグの中から読み取ることができる。

サイモンはジョニーと暮らした三週間「孤独」を感じている。しかも身に染みて!

他人と一緒にいるのに感じる孤独は一人きりでいる孤独とは異なる自分の全てを拒絶されるようなものだ。隣にいるのに全く理解できずつながることも出来ない。苦痛だ。こちらの話には応じず、相槌も打たない、そして要求のみ伝えてくるジョニー。ジョニーはサイモンを見つめるつもりがない。見えていない。

エピローグでは相手の考えに従うジョニーお決まりのフレーズがサイモンに返される。だがこれはマックに対する時と意味が異なる。

三部最後にマックに返したフレーズ「あなたの望むことをしたい」

これは例えば恋人が夜景が見たいと言えば、自分は興味がなくても一緒に行こうと思うだろう。子供がアンパンマンが見たいと言えば、興味はなくてもアンパンマンショーに連れていくだろう。愛する人の喜ぶ顔が見たい、それも一番の隣で。

サイモンに言った言葉は投げやりだ。「何でもいい」

ジョニーは自分が生きていくためにサイモンと一緒にいる。相手の機嫌を損ねない一番の方法は合わせることだと思っている。

マックが死んだ後、テレビで昔の写真が映っても無反応だったがそれはジョニーが外に自分の心を知らせる術を失ったからだろう。ヴェトナムで放心状態と思われていた時もマックの言ったことを覚えていた。

ジョニーは自分で考え行動している。

金を盗んだのも、アルとフランクを殺したのも、自分で考えている。そして、眠るサイモンに銃を突きつけ、降ろすことを決めたのもジョニーの意志だ。サイモンに従って生きていこう、だがサイモンに興味はない。これがジョニーの状態だろう。

 

 

サイモンはどんな状態だろう?

サイモンはエピローグで「警備会社で働こうか」と口にしている。前職を考えると適任な上、彼はマックと違い真面目に働くことのできる男だ!こんな事態になるまでは社会生活を送っていた。おそらくジョニーとサイモンの生活はマックと過ごすより安定したものになるだろう。金を使い込むこともなく、互いに孤独を感じながら一人よりはいいと思い、食事を取ったり映画を見に行ったりするだろう。ジョニーも一部でやっていたように皿洗いの仕事をするかもしれない。

だが、生活が安定しサイモンの精神状態が落ち着いてくると周りを見ることができるようになる。そして家族の事を思い出す時がくるはずだ。公園でフリスビーをする親子、レストランで食事をする娘と歳の近い子供、そして心配しているであろう兄マニー。

彼はコミュニティの中で生活していた。その良さを、自分を気遣ってくれる人のあたたかさを知っている。兄マニーはサイモンを待っているだろう。もしかしたら職場の刑事仲間も心配しているかもしれない。隣にいるぼうっとした青い瞳の男は前任のマックの影を追い求め、自分自身のことは見てもくれない(ジョニーは内心ずっと「彼が僕のマックを殺したんです」と思っている可能性がある。三部冒頭に物事を忘れないようにしようと厳粛に誓っている)

しかもサイモンは自分を理解してくれる人が好きだ。

マイクは自分を理解してくれていると思っていたし、その気持ちが残らず消えた後は金髪野郎と自分は宇宙的に繋がっていると思い込んでいた。理解し合えているというサイモン特有の思い込みは、ジョニーには通じない(マックはジョニーのことを理解できるはずもないと思っていた、ここがサイモンと大きく違う)

 

そうなった時、ラッフルズの話に繋がる。仕方がないから飼っていた代わりの犬。

サイモンにとってもジョニーは代わりの犬だ。

なんらかの仕事をし、他者と繋がって行く中で、サイモンが仲間たちの元に戻ることになれば(フロストを殺したのはマックということになっている。仮にジョニーが浮上したとしても精神疾患でマックの指示のもと動いていたところを保護したとなるだろう)ジョニーは病院に入ることになる。サイモンは一応常識的な人間なので、ジョニーを路頭に放り出すことはしないだろう。入院しているジョニーを時々見舞いには行くかもしれない。哀れなジョニーと思いながら。

だがもしジョニー自身が拒んでサイモンの元から逃げ出せば、サイモンは追わないだろう。

ある日代わりの犬がいなくなったとしても、気にならない。もしかしたらジョニーはふらふら何処かに行ってしまうかもしれない。

そしてジョニーは世界に怯えながら声をかけてくる人にモナ・リザのような微笑を返す。その微笑に魅了された男がまたジョニーの世話をする──

 

ならば私はどのようにして

人や神のもたらす苦悩に立ち向かったらよいのでしょうか

おのれの創ったものでない世界で

よそ者として怖れおののくこの私は。  A・E・ハウスマン

 

マックはジョニーを世界の恐怖から守ってくれる大きな家だった。

怖くなれば隣で「大丈夫だ、坊主」と言ってくれる。その家の中でジョニーの心は安定していった。社会から断絶したとしても、マックは自分がその入り口となり生きていくつもりだっただろう。それはマック自身、家が必要だったから。

サイモンはジョニーにとって雨風をしのぐための仮宿だ。そしてサイモンにとっても、ジョニーは自分の求める安息の家とは違うということに気づくだろう。

 

できるならマックと共に生きる未来を……読んでいた誰もが願ったと思う。

けれど冷静に考えるとマックとメキシコに行ったとしても、マックはポーカーをやめない。ギャンブル依存症のマックはどこへ行っても借金を作るに違いない。

もともとこの話はどう転んでも破滅しかない、主人公達はヒーローではなく哀れな一人の男として描かれている。その中で必死にもがき上手く生きていくことのできない哀しみと輝きが胸を打つ。

 

 

ここまで書いたが、私の中のこの物語の情熱はまだ消化されない。

エピローグの先を想像し、読み返すと違った発見がある。

例えばジョニーの好きな色はブルーだ。車や服にその好みが反映されている。

では、マックは?

マックの服装を追っていくと、彼はグリーン(暗め)をよく着ている。互いの瞳の色だ。

じゃあサイモンは?

実はサイモンの服の描写は無彩色が多い。葬式の黒、査問会のグレー、ポン引きに変装する時の白(シャツはブルー)イメージカラーを持っているジョニーとマックに対して、彼は色がない。

ところが、エピローグでサイモンはカーキのズボンを履いている。まるでマックのグリーンが移ってきたように。まぁ、レジャー気分なので履き古したリーヴァイスとはおさらばしたのだと思うが、もしズボンを買うときに「マックはよくグリーンを着ていました」とジョニーに言われてこの色を選んでいたとしたら……と想像するとサイモンが哀れになる。

他にも食事の描写も気になった。

そして「主人公達はヒーローではない」と書いたが、物語の中で唯一「ヒーロー」と呼ばれた男がいる。ワイルド・マイクだ。

とにかく気になる点はまだまだあるので、これはまた分けて書くことにする。