takE’s diary

テリー・ホワイトの感想を書きます

手作りのウェスタンブーツ?男達の食事や服装『真夜中の相棒』

プロローグ、マックがアイスを買いに店に入るとき「手作りのウェスタン・ブーツの靴音を鋭く響かせ」とある。

手作りのウェスタンブーツ?マックはカウボーイハットでも被ってるのか?

 

私が生まれた時、すでにヴェトナム戦争は終わっていた。

ヴェトナム戦争で知っていることはベトちゃんドクちゃん、枯葉剤ぐらい。アメリカもハワイしか行ったことがないので彼らが旅する都市の雰囲気や時代もピンとこない。

気になるところを調べていくうちに3人の男の背景や輪郭が見えてきたような気がする。彼らの服装や食事、会話や生い立ちなどなどから書いていきたい。もちろんネタバレ。

 

 

男達の服装

西部の男カウボーイマック

初めにマックの靴について書いたが、マックは主人公3人の中では一番おしゃれさんだ。服のバリエーションが多い。

プロローグではグリーンのウィンドブレーカーとウェスタンブーツ。一部に入るとデニムの上着やコールテン(コーデュロイ)のズボン、セーター、コート、ネクタイもある。Tシャツはダークグリーン、公園でジョギングを始めようと言い出した時はジョギングジャケット(ランニングジャケット)を着ている。三部海沿いではサングラスをし、殺される日に着ていた服はグレーのスラックス、グリーンのニットシャツ、よれよれウィンドブレーカー。ジャケットはないが、ネクタイとスラックスを持っているところが彼らの生活から意外でもある。

マックの故郷はオクラホマシティーだ(女と寝る時に天井のひび割れに故郷の形を見出しているところが混乱状態をあらわしていて面白い)私にはオクラホマオクラホマミキサーしか出てこない。小学生の時フォークダンスを踊ったあの曲だ。とりあえずオクラホマミキサーを聴きながらこの文章を書き進めることにする。

オクラホマ・ミキサー

オクラホマ・ミキサー

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オクラホマ州は西部開拓時代のカウボーイ文化の街、らしい。なるほど、だからウェスタンブーツを手作りするのか!だから軍をやめた後、靴屋に就職するのか(三日で辞めたけど)ジョニーの西部劇好きともつながる気もする。

マックは主人公達の中で一番背が高く、「ハンサム」とマックと話した少年が答えている。気前がいい時はジョニーに本革の手袋をプレゼントする。そりゃ買った女にもモテるわ。

 

青が好きです!ちぐはぐジョニー

ジョニーは服にかまわない印象がある。

常に色落ちぴっちりリーヴァイスと履き古したランニングかテニスシューズ。プロローグでは黄色いTシャツにコールテンのスポーツコート。アルとフランクを殺害する時はブルーのスキージャケットだ。

このアルとフランクを殺害に行く直前、ジョニーはマックの血のついたシャツを「忌まわしいシャツ」と表現し屑籠に捨てている。そして「少し大きすぎるカーキ色のシャツ」に着替える。この少し大きすぎるシャツはおそらくマックのシャツではないだろうか。

同じように三部後半、マックに殴られた後ジョニーは服を着替えマックを探しに行く。この時「大きすぎるブルーのTシャツ」に着替えるが、このTシャツはマックのものだと書かれている。つまり三部ではマックもブルーのTシャツを着ている!お揃いで買ったのだろうか?「マックのサイズも売っていますよ。一緒に買いませんか?」「ああ?お前さんの好きにしろ」……想像するだけで楽しくなる。

ちなみにサイモンとダーツ投げをしている時にジョニーが着ていたTシャツは「ナイアガラフォールズ」と書かれている。「富士山」と書かれたTシャツを着ているようなものだろうか。「富士山」のTシャツを着た冷血な殺し屋、という珍妙な状態にサイモンは混乱する。

さらに色付きのパイロット用眼鏡もつけている。パイロット用眼鏡?調べるとトップガントムクルーズが付けていたような形だ。

 

ジョニーは全体的にチグハグな組み合わせだ。マックが時々アドバイスをしているような気もするが──そしてジョニーは海パンも持っている。だが、おそらくマックは持っていない。水が嫌いだから。これも海パンを買う時に「マックは買わないんですか?」「俺はいらんよ」なんて会話があったかもしれない。

 

無彩色のたどり着く先、サイモン

サイモンは服をほとんど着替えない。

捜査に没頭するあまり何日も同じ服を着ていることが多い。二部冒頭はTシャツにジーパン、デニムの上着だ。この時に着ていた服はマイクの血で汚れ「あいつめ、こんなに血を流しやがって」と口にする。相棒の血で服が汚れ、着替える所はジョニーも同じだ。

色褪せたリーヴァイスや汗染みのTシャツ、テニスシューズ、ウィンドブレーカー、のびっぱなしの髪と髭。身なりに気を使ったのはマイクの葬儀(黒)、変装(白)、警察の査問委(グレー)の3箇所、どれも大切な場面だ。

葬儀でサイモンはシヴォーンに頼まれ大勢の前で挨拶をする。混乱しながらもなんとか言葉を紡ぐ。彼の中でどれだけマイクの存在が大きかったか、未来を失い途方にくれている姿が心に残る。この場面はジョニーの卒業式と対比される。

ジョニーは卒業式で多くの人の前で答辞を読んだ。未来への不安とそれに打ち勝つ自信。若者の溢れる希望が隅々まで感じられる素晴らしい内容だ。

未来を夢見るジョニーと未来を失ったサイモン、二人が大勢の人の前で話す言葉は真逆だ。

フェニックスでの変装はイタリア製の白いスーツ、ブルーのシャツ、黒靴。この時のサイモンはマイクが乗り移ったような振る舞いをみせる。彼は“マイクならこうするだろう”というイメージのもと動いている。そして鍵となる金髪野郎の話題を出すときに祈る「聞いてるか、マイク?」

神に祈ることをしない男が失った相棒に祈る。ショーを成功させるため俺を助けてくれ、と。このグレイヴンとのやりとりはサイモン一人ではなく相棒マイクと二人で勝ち取った場面になるだろう。白いスーツでニヤリと笑うサイモンは非常に印象的だ。

査問委では地味なグレーのスーツとネクタイだ。この章でサイモンは職を失い、妻にも娘にも去られ、章の最後には近所の子供に「おじちゃんは死んだよ」とまで言われてしまう。刑事サイモンはここで死んだのだ。「灰色」はマックが死ぬ時にも出てくる。「灰色のカーテン」と表現され、白でも黒でもない、無味乾燥な世界の終わりを示している。

そしてエピローグではカーキ色のズボンを履く。メキシコのホテルで海を見ながらジョニーと過ごすカーキのズボンを履いた男。マックの姿と重なっていく。

 

ワイルド・マイクとは?

ちなみにマイク・コンロイは服の描写がない(死亡後は警官服を着せられている)ひょろながい赤毛の男、鳶色のカールした髪、柔らかい茶色い目、ぐらいだ。

マイクは冒頭に死んでしまうが、この話を動かす重要な役目を担っている。この話には「ヒーロー」という言葉が出てくる。

マックは「おれたちは英雄なんかじゃない」と殺人の自首をしようとするジョニーを止め、サイモンは査問委に「これが映画なら俺はヒーローだ」と言う。キンバリーは夫に「あなたはヒーローじゃないわ」と告げる。主人公達は誰一人ヒーローではない。だがマイクだけは違う。マイクの葬儀でサイモンは「彼はヒーローだったんだ」と言う。

ワイルド・マイク。この“ワイルド”はスラングで考えると、すごい奴、ヤンチャな奴、やばい、のようなイメージになる。

ところでポーカーには《ワイルドカード》と呼ばれるものがある。ジョーカーのことだ。ジョーカーはどのカードにも変わることができ、最強にも役立たずにもなる。マックはポーカーが好きだ。そしてトランプで遊んでいた少年に声をかけアドバイスしたところから、サイモンへの手がかりを作ってしまう。

マイクの人となりは死んだ後、周りの人間から語られる。バランス感覚に優れ、相手の望むものをだし、理解し、機転が効く。マイク本人の姿はないが彼は物語の至るところに痕跡を残しサイモンを動かしていく。

マイクはジョーカーだったのではないか?深読みな気もするが、そんな考えが頭をよぎる。

 

男達の食事風景

次は食事について書いてみよう。

物語に食事のシーンは何度も出てくる。そして重要な意味を持つ。

 

ジャンクと思い出の狭間マックとジョニー

二人の食事はほとんどがバーガー、ピザ、バーガー、ピザ、ジャンク大国万歳!あたたかいシチューでも作ってモーテルにお届けしたくなる。

唯一のごちそう描写はテデスコから殺し屋になるため貰った金で食べた郊外の宿屋だ。ジョニーはリブを食べ、食後に二人でアップルパイ(パイアラモード)を食べている。パイをフォークで小突きまわすマックとアイスをスプーンで食べるジョニー(この時マックはラッフルズが死んだ後代わりの犬を飼ったのかきく)

マックにとってアップルパイは軍に入る前、若い頃を思い出させる食事だ。故郷のカフェにあるジュークボックスで何度も同じ曲をかけていた。

今ジュークボックスを置いている店は本当に少ないだろう。私は昔、一度だけかけてみたことがある。1曲100円だったと思う。自分の選んだ曲が店内に流れる気恥ずかしさと、その曲が空間を作り上げている誇らしさ。マックもジョニーも自分の選んだ曲が店内に流れた時、嬉しく誇らしく思っただろう。

ところでアップルパイの話題は一部冒頭、ヴェトナムでも出てくる。マックがナット・キング・コールについて尋ねる場面だ。ここでマックは会話の最後に「アップル・パイは好きか、嫌いか」ときいている。しかしジョニーはこの時全く反応をみせず、何も聞いていないようにみえた。

ところが三部に入りジョニーがこの時の会話を聞いていたことが分かる。答えを外に発することができなかっただけで、彼はしっかりと聞き、記憶していたのだ。そしてマックのためジュークボックスでナット・キング・コールをかける。その時ジョニーが食べているのはレモン・メレンゲ・パイだ。これはヴェトナムでマックに尋ねられたアップルパイの答えなのだろう。僕が好きなのはレモン・メレンゲ・パイです、と。ジョニーは出会った時からずっとマックを見つめ続けている。

3人の主人公の中で一番よく食べるのはジョニーだ。甘党でアイスやジュース、コークを好み、ポテトにもケチャップをたっぷりつけ食べる。

マックはあまり食べない。パクパク食べるジョニーの隣でコーヒーを飲んでいることが多い。これは少食なのではなく、精神的にストレスを抱えているためマックは食欲がわかないのではないかと私は想像している。ジョニーの手が折られ病院を出た後、コーヒーショップでジョニーはコークとゼリードーナツを食べる。マックは隣でコーヒーだけだ。自分のせいでこんな結果になってしまい、食欲なんてわかないだろう。

ジョニーがリブを食べている時、マックは空腹を感じない。森で射撃の練習をしたがマックはジョニーに殺しをさせたくないという気持ちが大半を占めている。しかしジョニーは気にならないのでパクパク食べる。

ストレスによって過食になる人もいれば、食べられなくなる人もいる。分かりにくいがマックはジョニーといることでストレスに晒されている。全ての判断が自分にのしかかり、選択の責任が伴う。傷つきやすい優しいジョニーのことを心配し、頭の中は常にモヤモヤしている。分かりやすいストレスの描写は「首筋に緊張からくるこり」だ。このマックのこりの描写は一部始め軍キャンプでの朝食時に現れ、三部の「愛している」の前にもある。三部マックは「精も根も尽きた」「つきまとって離れない」とこりをほぐそうとしている。おそらくジョニーを引き継いだサイモンにも、こりが現れるだろう。

食事を前にして食べてはみたものの、食欲がわかない……マックはよくフォークで皿の上のものを突きまわしている。

テデスコの配下になり集金の仕事に行く前、レストランでジョニーの食べていたスパゲッティを取る(直前まで女とセックスをしていたので腹は減っている)が、ジョニーから出た辛辣な声音で食欲が減退しミートボールを転がし食事をやめている。

マックが気の毒になる話題ばかりなので他のシーンについても書きたい。

自由の女神像の遊覧船でマックはホットチョコレートを買う。観光地お決まりのドリンクと思うが甘いものを買わないマックがジョニーのために買い、そして二人で一つのカップを渡し合いながら飲む。この時ジョニーはマックの落ち着きのない様子に気づき「何かあったんですか?」と問いかける。ジョニーは三部後半でも、不安で眠れずジョニーのベットに這い込んできたマックに「あなたもね、マック」と優しく返す。相手のことを心配し言葉をかける、彼の心に余裕ができてきたのが分かる。

一部後半、公園のジョギング後合流したドラッグストアでジョニーはコーヒーを二つ準備し待っている。マックと自分の分だ。ジョニーがコーヒーを飲むのはこの場面だけだ。寒いのならホットミルクでもよさそうな気もするが、ジョニーはコーヒーに大量の砂糖を入れマックと同じコーヒーを飲む。三部冒頭、ジョニーはマックと同じように煙草を吸う。マックのようになりたい、マックに近づきたい、マックと同じところにいたい。憧れと対等な愛が入り混じったジョニーの気持ちの一端が見える気がする。

 

孤独が浮き彫りになるサイモン

マック、ジョニーと比較するとサイモンは誰かと一緒に食事をするシーンが少ない。妻と食事をしている場面はなく(サイモン一人で食べている)娘と一緒にバーガーを食べる場面では娘に自身の行動を否定され家族との別れになっている。

二部前半、サイモンはほとんど食欲がない。マイクの殺害現場に遭遇し腕の中で息たえた直後だ、食欲もわかないだろう。誰かとの食事の場面でも相手は食べているが、サイモンはわずかしか食べない。

ところが後半サイモンが吹っ切れたように食べ出すシーンがある。シヴォーンに会ったあと、ダグとの食事シーンだ。サイモンはシヴォーンの言葉で拠り所としていたマイクへの想いが破壊され(シヴォーンはサイモンを心配していたのだが結果的に悪い方に転んでしまった)原動力が金髪野郎を捕まえるという目的に転換した。このダグとの場面でサイモンは初めて食欲がわいたように「大口で頬張る」のだ。

そして彼はサンフランシスコを離れ半年後、生まれ育った実家で家族と食事をする。

半年間サイモンはずっと一人きりで食事をとっている。サイモンの父親は彼の仕事や妻を歓迎してはいないが、没交渉というわけではない。サイモン自身、思い出して実家を訪れる関係なので「良く」はないが「悪い」というほどでもないのだろう。

この家族の食卓シーン、そして兄マニーとの場面は非常に重要だ。テーブルを囲み、ワインを飲み、サイモンは周りが理解してくれないこと、淋しさの中にあることを兄に吐露する。この時の兄の言葉は最後までサイモンに問いを投げ続け、おそらくエピローグの先に至っても彼の心を叩き続けるだろう。

ところで二部のサイモンの食事にはピザは一切出てこない。マックとジョニーはあんなに食べていたのに!サイモンひとりぼっちだから……そう思うとマックとジョニーの偏った食生活もほのぼのとしてくる。

そんなサイモンが三部に入り、初めてピザを食べる場面がある。ジョニーに2回目に声をかけた時だ(1回目はアイス)この時サイモンはピザを分け合い、一緒にビールを飲み、誰かと共に食べるという行為の喜びを思い出す。その後サイモンは月光に照らされた海を見つめジョニーとの食事を思い出し「哀れなジョニー」と同情を寄せる。マイクへの思いが消し飛び、ただ無心に金髪野郎を追い、一人淋しく疲れ切った心をジョニーという月光に照らされたのだ。

 

この話には「月の光」が何度か出てくる。

ジョニーが初めてマックの名前を呼び、マックが《モナ・リザ》を歌って寝かしつける夜。

三部ジュークボックスの後、車の中で眠るマックを愛おしそうに見つめるジョニーの視点。

ジョニーとの食事の後、海を見つめるサイモン。

そして、ジョニーがサイモンに銃を突きつけ下ろす場面。

ぼんやりと柔らかく儚げな光の中浮き上がってくるジョニー、マック、サイモン。それが邦題が『真夜中の相棒』となる所以かもしれない。

 

地図でみる足跡

次はアメリカを横断する彼らの足跡を追ってみる。私にはアメリカの土地勘はさっぱりなので、地図を広げ書き込んでみることにした。

3人の足取り

ニューヨークを出発点とするマックとジョニーは淡いブルーのBMWで西へ西へとアメリカを横断していく(青の矢印)ニューヨークにはテデスコや自由の女神像の遊覧船、ジョニーが盗みを働いた時対応したマゼレッティ警部補、そして米国最古の公立病院ベルビューがある。ベルビューは精神病院の代名詞といえるほど有名な病院で、マックを激しく動揺させた名前でもある。殺しの仕事でフェニックスや他の場所に行った痕跡はあるがその辺りは省いている。

サンフランシスコに住むサイモンはフォルクスワーゲンで東へと進む(赤の矢印)どこにいるのか分からない殺し屋を求め東へ東へ進み、実家のボストンへたどり着く。サイモンは生まれ故郷から随分と離れたところで仕事をしているのが分かる。そしてニューヨークでジョニーの名前と顔写真を手に入れた後、また西へ西へと移動をする(ピンクの矢印)

サンフランシスコ、ラスヴェガスロサンジェルス、西側の3都市。マックが好きそうなラスヴェガス、ジョニーが泳ぐ西海岸、サイモンの職場。テリー・ホワイト2作目の『刑事コワルスキー』は舞台がロサンジェルスだ。彼女にとって馴染みのある都市なのかもしれない。

 

 

もう一つ、緑の部分はマックの故郷オクラホマシティだ。この真上がテリー・ホワイトの故郷カンザス州。彼女の3作目『リトル・サイゴンの弾痕』にもオクラホマ出身の男が出てくる。この男は非常に魅力的なキャラクターだ。故郷に近いだけあって、人物の造形もイメージしやすいのかもしれない(オクラホマの真下はテキサス州、まさに西部劇の舞台!)

 

 

それにしてもこの広大な国土の中をサイモンはよく一人でぐるぐる捜索を続けることができたと感心する。手元にあるのはマックという呼び名と似顔絵だけ。それだけの情報で探し回るなんて砂浜に落ちたピアスを探すようなものだ。この粘り強さは本当に警察向きだと思う。

 

男達の役割

物語が進む中それぞれが背負っているもの、捨てていくものが描かれる。その姿は三者三様だが一貫している。

 

母を失った子供マック

マックは一見するとジョニーの保護者のようだが、この物語は〈自分の家を求める二人の子供が寄り添い生きていく話〉と捉えることもできる。

一部の初めマックは「夢に描いている家も家族も実現しないのだ」と心境を吐露している。夢に描いている!マックはずっと憧れていた。隣にいる家族、愛してくれる人、愛する人。そのことが物語の始まりで明かされている。

マックの生い立ちに出てくる母は精神を患い、入院後死亡している(父はいないのだろう)狂気を顔に刻みつけた──マックは母や入院している他の患者のことをそう表現し、幼い頃から恐怖におののいている。この恐怖は奇声や動きを見て感じる「恐い」という感情だけでなく、自分と同じはずの「人間」がなぜこうなってしまったのか全く理解できない恐怖も含んでいる。

マックの母は精神を患う前はどんな母親だったのだろう?

物語の中で彼が母を非難する言葉はない。狂気に覆われた母は幼い彼にとって別人にみえただろう。そしてマックはそうなってしまう前の母を覚えているのではないだろうか。優しく背中を撫で、夜は隣で一緒に眠り、額や髪にキスをし抱きしめてくれたのではないか。

マックはジョニーを落ち着かせる時、自然にスキンシップをとっている。

ヴェトナムでは震えるジョニーに両腕をまわし包み込み、女とのキスで動転した時は脚に手を置き話している。留置所ではジョニーの手を両手で包み語りかける、大切な話をするとき必ず体のどこかに触れ、落ち着かせながら話す。これはマックがそのように接してもらい育ってきたからだろう。マックは孤児院のことも非難はしていない。ただ、誰かと仲良くなり期待してもそれは裏切られてしまう、その経験の繰り返しから自分の心が傷つかないために人と距離をとり、裏切ることのない金と金で成り立つ世界が彼にいっときの安心を与えてくれる。

彼は非常に素直な人間で、しかも自分を客観的にみる視点を持っている。人間関係のリスクを取りたくない、けれど一人でいるのは耐えられない。本当は怖がりで卑怯でどうしようもない人間だと真面目に自分自身を責めている。

殺し屋になる決心をする時、マックはわざと「銃はからきし」とジョニーに告げる。ジョニーが「僕がやります」と言うことを期待して。自分の手を汚したくない、恐い。マックは集金係の時も相手を殴ることをジョニーに任せている。その自分の卑怯さに嫌気がさす、だがジョニーを手放すことはできない。ジョニーに対し「お前は一人では生きていけない」と接しているが、ジョニーは皿洗いの仕事を続けることができた。近所のお婆さんの荷物を持ってあげ、シュガークッキーをもらう仲になっていた。仕事を三日で辞め、借金を作り、手に入るか分からない大金をあてにするマックの方が一人で生きていくのは不向きだ(20で入隊し15年も続いた軍人生活は彼の気性に合っていた)

素直なマックは自分は一人でいるのが嫌だとよく分かっている。そしてジョニーはただ隣にいるだけで自分を肯定してくれる、必要としてくれる。マックは自暴自棄になりジョニーを置いて飛び出したことが二度ある。一度目は病院帰りのコーヒーショップ、二度目は殴った後。走って飛び出し、自分を責め、でも一人は嫌だと戻ってくる。そしてジョニーに叱られ「もう二度としない」と素直にごめんなさいをしている。この時のマックはまるで親に叱られた子供のようにしょんぼりしている。

自分の家や家族に憧れていたマックにとってジョニーは失いたくない「伴侶」で大切な「坊主」だった。そしてマックは精神を病んだ人を理解することはできないとジョニーと出会った時から思っている。それは変わってしまった母を知っているからだ。理解できなくてもいい、それが当たり前の前提としてあることでマックはジョニーと8年も一緒にいることができた。理解したい、理解し合いたいと思う人ならジョニーの行動や言動にイラついて怒るところも、マックは「疲れた」と諦めることができた。

マックが唯一怒りジョニーを殴った場面、マックは粗野だが今まで一度としてジョニーを殴ったことはなかった。物を殴ることはあっても、人は殴ってはいない。あれは「怒り」ではなく「嫉妬」なのは読んでいる私たちにはわかるが、マック自身はそれを信じたくない。首筋のこりや芳しくない食欲、やりたくもない殺しの仕事。本人も気づいていないジョニーへの欲求を女を抱くことで発散し(ほとんど金髪)スッキリした気持ちでジョニーをベッドに迎え入れる。マックが女を抱くときは人を殺す前後、不安で混乱している時、極度のストレスを紛らわせるためセックスをする。

マックはジョニーを頼っていた。そして母を失った彼にとって、精神を病んだジョニーを見捨てることは自分の母を捨てるにも近い恐怖と罪悪があったのではないだろうか。3人の主人公達の中で、マックは苦悩を抱える人だ。自分の弱さに嘆き苦しみ、最善を尽くしもがく。失った母の優しさと恐怖を抱えながら生きる、人間らしい男なのだ。

 

父を恐れる子供ジョニー

ジョニーの過去には父親が出てくる。母もいるが空気に近い。両親はジョニーが高校を卒業する直前に死亡し、ジョニーがどんな経緯で軍に入ったのかは分からない(ヴェトナム戦争時徴兵制はあった)

ジョニーの家庭はキリスト教根本主義プロテスタント)父は牧師だった。私は宗教に詳しくはないが、物語を読むと極端な教えと体罰の恐怖の中ジョニーが育ってきたことがわかる。そしてマックが推測するように幼いジョニーを抱きしめる人は誰一人いなかった。

ジョニーはマックと比べるとスキンシップをおずおずと、控えめにとっている。本当はもっと触れてほしい、触れたいと思っていても、躊躇いがちなのは慣れていないからだろう。おそらく唯一安心して触れ合うことができたのが犬のラッフルズだ。だからこそジョニーはラッフルズのことを「僕の分身」と呼んでいた。

ジョニーの精神は幼い頃から刷り込まれた父の教えで成り立っている。私のとても親しい友人に元エホバ2世の人がいる。彼は生まれた時から入信させられ思春期に自力で脱会した。幼い頃、世界はサタンに支配されていると信じ、本当に怖かったと言っていた。そして布教活動のため親と近隣をまわり、傷つくような扱いを受けると「なぜ神は助けてくれないのかと本気で思っていた」と笑いながら自嘲気味に話してくれた。大人になった今でも誕生日を祝うこと、初詣に行くこと、周りの人たちがしていることをしようとするとザラついた違和感がまとわりつく。幼い頃から染み付いてきた教えを振り払うのは本当に困難なことだ。ジョニーはマックと共に過ごす中で、父からの教えを何度も振り払おうとしている。だが二部では完全に振り払うことはできず、自分なりの解釈に落とし込み行動に変えている。

金を盗む時、父の言葉を振り払いながら「盗み」ではなくマックを助けるための「正しいこと」だと自身の行動を善に肯定している。アルとフランクを殺す時も親たちが行っていた「聖なる使命」と同じ、善と悪になぞらえ動く。“悪かろうが行う”のではなく、神の教えの中、善だと肯定し動いている。

しかし三部になるとジョニーの中の神は父の説く「主イエス」ではなく「マック」へと上書きされる。神の上書きに成功したジョニーは父の恐怖を記憶の彼方に押しやりマックに金色の光をみる。面白いことにマックもジョニーに金の光をみている。互いに金色に輝く光をみつけ、それに焦がれ愛しんでいる。物語の中でジョニーの視点で語られる場面は非常に少ない。ほとんどがマックとサイモンの視点で進んでいく。だからこそ、数少ないジョニーの視点で見る場面は印象深くそこにはいつも父の教えとそれを振り払い自分の意思で進み考えるジョニーの葛藤と成長、そして彼のマックへの一途な想いをのぞくことができる。

おそらくジョニーは生来何かしらの特性を持った子供だったのだろう。知能が高く、こだわりが強い、人との会話も元々苦手のようだ。精神を病んだことにより、恐怖と混乱、子供のような言動になっているが、優しさは生まれ持ったものだろう。この話にはジョニーのように世間から変わり者とみられ、軽蔑のように素通りされる少年が出てくる。サイモンにマックの顔を教えた少年ビリーだ。病気か薬の副作用で肉の塊と表現される少年にマックは気軽に声をかける。マックは幼い頃母が軽蔑や侮蔑に晒されるのをみてきただろう。だからこそヴェトナムでジョニーに自然に接することができ、トランプ遊びをする少年に「いい人」と評されたのだ。ジョニーを対等なパートナーと捉えるマックらしいエピソードでもあり、それがサイモンにヒントを与えてしまう皮肉な場面だ。

マックはジョニーが自分の感情を外に伝えるのが苦手なことを分かっている。ジョニーが初めてマックの隣に寝たいと言ったのはアルとフランクを殺した夜だった。彼は淡々と事実だけを述べるが心の奥では不安と恐怖がわき起こっている。かろうじて伝えることができたのは「一人になりたくないんです」だった。集金の仕事でジョニーが相手を殴った後もマックは「大丈夫か?」「本当に?」と彼の心を心配している。ジョニーがマックと一緒に寝ようとするとき、そのほとんどが誰かを殺した後だ。ジョニーの心は人を殺す度傷つき、マックと寝ることで持ち直している。マックはそれを分かっているからこの生活から抜け出そうともがく。

けれど同時に、ジョニーはマックと過ごすことで心に余裕がうまれていく。一部終盤ではジョギングを満喫し「ご老人」と茶化した会話を楽しんでいる。さらにマックとフリスビーを投げ合い一緒に遊ぶという行動もとっている(41と33の男二人がフリスビーで1時間も遊べることに驚く、微笑ましい)三部冒頭ではマックと同じタバコを吸い、注意するマックに皮肉のきいた返しをする。会話を楽しめるというのは一緒にいるマックにとっても楽しい事だ。物語序盤、保護される対象だったジョニーは時間が進むにつれ対等のパートナー、伴侶になっていく。しかしサイモンにマックを殺されたことで、ジョニーは自身の中にあった神にも等しい支えを失う。エピローグのジョニーはどんな精神状態なのだろうか?

サイモンに突きつけた銃を下ろしたことで、ジョニーは「生きていく」決断をした。軍にいた頃、マックが帰国することを知ったジョニーは一人で軍に残るのは耐えられないと自殺を試みたが、三部終盤では生きることを選んでいる。マックを失ったジョニーはサイモンにマックの代わりを勤めるよう伝えるが、エピローグから二人が心を通わせている描写はない。

マックはジョニーの中で本当の神になったのだ。死んでしまった人は神格化され誰も追いつけない。ワイルド・マイクも死んだことで「ヒーロー」になったといえる。ジョニーの小さな小さな閉じた世界の中でマックはいつまでも金色に輝きつづけ、ジョニーはマックが消えてしまわないよう《モナ・リザ》をかけ続ける。

音楽は記憶を刻む。若い頃同じ場所でよく聴いた曲、昔誰かと一緒に聴いた曲。曲には思い出が刻まれる。その曲を聴くと、不思議と当時の感覚を思い出し、まわりの匂いも年齢も心も全てがその時に戻っていく。きっとジョニーは《モナ・リザ》を聴くたびヴェトナムの夜を思い出すのだろう。そしてジュークボックスで流した時驚いたマックの顔が浮かび、「あの曲をかけてくれてありがとう」と言った穏やかな声が聞こえてくる。

父に怯える傷ついた子供だったジョニーはマックと出会うことで自分の世界を確立し成長していく。どんなに恐ろしい世界でもマックが守ってくれる安心と温もりに包まれ、ジョニーは盲目的にマックに愛を与え、肯定し続ける。しかしマックはジョニーを大人になるよう仕向けなかった。ワシュに「子ども扱いするのをやめたら」と忠告されたがジョニーが子供のままでいることを良しとした(自分を必要として欲しかった)そのことがジョニー自身を「一人では生きていけない」という思い込みと立場に追いやり、サイモンを殺すことを断念させた。ジョニーは大人になれない子供だ。常に保護者を必要とし、自分を守るため、世界から逃げるため、微笑み続ける。ただ、誰も覗くことのできないジョニーの閉じた世界では金色に輝くマックがいつまでも「大丈夫だ、坊主」と彼を抱きしめてくれるのだろう。

 

役割を捨てた男サイモン

サイモンは夫であり父だった男だ。

生まれ育った家庭から独立し、妻と子、仕事仲間がいる。20歳で結婚し、物語登場時35歳。ジョニーと同じか1つ違うぐらいだ。彼の故郷ボストンがあるマサチューセッツ州アメリカの中でもユダヤ人が多い州となっている。父はユダヤ教のラビ(宗教的指導者、立場としてジョニーの父に近い)ジョニーと比較すると厳しい教えや体罰といった類の話は出てこない。仕事や妻を良くは思われていないが交流はある、この家族を円滑にまわしているのは兄マニーだ。おそらく長子であるマニーは父の期待を背負い、父の納得のいく職についている。サイモンが自由に動けるのは兄がいる点も大きい(ジョニーは親の期待と攻撃を一人で受けていた)

物語の第一部マックとジョニー2人が繋がりを作る流れに対して、二部のサイモンは持っている繋がりを失っていく立場にある。登場人物の欄にある名前はほとんどがサイモンの関係者だ(マックとジョニーに直接関係する人物はワシュしかいない。二人がいかに閉じた世界で生きているかが分かる)

初見でサイモンを好きになる読み手は少ないだろう。この男さえいなければ!こいつのせいであんな結末に!と思う人は多いはずだ。

だが、サイモンの人生を振り返ってみてほしい。彼とマイク・コンロイは8年間パートナーだった。8年という月日はマックとジョニーが出会い別れを迎えたのと同じ年月だ。マックとジョニーが繋がりを深めていった年月と同じ時間、サイモンはマイクと共に仕事をし、ソフトボールを投げ、マイクの子供の誕生を喜び、彼の家の庭に二人で東屋を建てた。マイクの年齢は分からないがサイモンより年下だろう(アイルランド移民の不良少年と表現されている)サイモンにとって可愛く頼れる弟のような存在だったろう。それが思いもかけない事態により相棒を失うことになる。腕の中で息を引き取るマイク、助けてやることのできない無力感、受け入れられない現実。犯人を見つけようと躍起になることも理解できる。

サイモンは自分を支えようとする人たちの繋がりをどんどん失っていく。妻キンバリーとの仲は元々良好というわけではない。家を出る時彼が持ち出そうと思えるものは少なく、内装も全て妻の意向で出来上がっているところが彼の居場所のなさをよくあらわしている。ただこれはサイモンが仕事にのめり込みすぎるあまりキンバリーとの関係がこの形におさまったのかもしれない。娘に対しても愛情はあってもどのように接していたか分からない。サイモンは家族は自分のことを理解してくれている、納得してこの生活を過ごしていると思っていただろう。

物語の中でサイモンは周りが自分を理解してくれないことに苦しんでいる。どうしてわかってくれないんだ?「理解されない孤独」が彼をより事件へとのめり込ませる。彼は妻も娘も今までずっと理解してくれている、と思っていた。そのズレが大きな裂け目となり彼を暗い谷底に突き落とした。

読み手にとってサイモンは二部に突然現れた男のためマックとジョニーに感情移入していた人間はサイモンの立場を想像しにくい部分もある(それでも二部冒頭の疾走と展開は、あっという間に私たちをサイモンの生活に没入させる)彼は仕事と家庭を持つ、第一部の2人と比較すると一般人に近い立場にある。帰る家があり、支えてくれる仲間がいる。危険だがやりがいのある仕事をもつ一人の男が一つの事件をきっかけに精神を病み孤独に落ちていく。「夫」や「父」という家庭の役割を捨て、一人の男として事件を追う。しかし生家を訪れれば彼は「息子」であり「弟」でもある。ジョニーと共に歩くサイモンはこれからどんな役割を背負うだろう。

サイモンはジョニーが自分を理解してくれると思っていた。いつも周りに理解を求めるサイモンは自分を理解してくれないジョニーに対し「ちっとは優しい気持ちになれんのか」とエピローグで怒りをぶつけている。助けたと思ったジョニーは殺したマックとできていたかもしれない、自分の方を向いてくれると思っていた怯える子供は驚くほど無関心で無反応だ。思ってたんと違う!

目的を失い、頭のぼうっとした男の子守りをしながら時間を過ごす。失っていった繋がりを新たな繋がりで補うため彼はジョニーの「父」として、もしかすれば「夫」として再び役割を背負うのかもしれない。

 

3人の忠告者

主人公達が苦悩する中、彼らに忠告を与える人物がいる。道の先が見えない時「こっちに戻ってこい!」と引き止める物語の良心だ。この忠告者達は作者の伝えたいことの一端を担っている。

 

厳しくも親身なワシュ

マックの軍時代の友人ワシュは一部冒頭から登場し、マックのポーカー仲間でもある。

マックに対しては好意的だがジョニーのことは嫌煙している。「ぐず野郎」と言い、早く病院に入れるようマックに忠告する「彼には助けが必要です」と。ワシュにとってみれば付き合いの長いマックがなぜあんな男に肩入れするのか分からない。しかも素人が背負い切れるような病状じゃない。一部中盤に再度登場した時もワシュは忠告する。辛辣な物言いだがマックを心配し更生させようともしている。

「なぜあなたなんです?」「あなたはいつだって身動きがとれなくなってた」「また新しい穴場を捜す」「あなたが子供扱いするのをやめたら」ワシュはマックの行動や悩み核心を突く。生き方を見直せ、やろうと思えば何でもできるはずだ「しっかりして下さい、マック」とまで呼びかけている。この忠告を振り切りマックとジョニーは殺し屋へと落ちていく。

 

女神シヴォーン

マイクの妻シヴォーンはある意味完璧な人物だ。

哀れな3人の男、癖の強い脇役の中でマイクとシヴォーンは理想的な夫婦として描かれている。ヒーローとなったマイクの欠点といえば引き出しの中が汚いこと、サイモンの家の花瓶を割ったことぐらいだ。シヴォーンに至っては欠点が見当たらない。

シヴォーンはサイモンの現状を心配し言葉を選びながら気持ちを伝えるが彼の中にあった最後の希望を打ち砕いてしまう。この容赦ないやり取りは悪意を持って行われたわけではない。サイモンに元の生活に戻ってほしい、家族に目を向けてほしい、という思いから始まっている。

シヴォーンの言葉はマイクの言葉でもあり、この物語に流れるテーマを訴えている。マイクはサイモンのことを「愛していた」それ故に心配していた。良きパートナーとは「結婚」に等しいと表現している。伴侶は共に生きていく人だ。生きていく中で意見が食い違うことも、相手に不満を持つこともあるだろう。その都度フォローし合い、時には我慢し、すり合わせ、マイクはその技能が抜群に長けていた。サイモンのことを心配するからこそ家に帰っても悩みを話し、愚痴も言っただろう。妻にとってみればサイモンは夫を悩ませる種でもあるが、夫がサイモンを大切に思っていることも分かっている。

ジョニーもマックを悩ませる種だ。けれどマックはジョニーのことを大切に思っている。多少の不満や苛立ちがあっても共に生きていこうと手を取り合っている。

「二人の人間がまったく同じように考えるわけにはいかないのよ」

シヴォーンのこのセリフは「同じ」であることを重視するサイモンにとって衝撃の言葉だった。シヴォーンの意図を外れ、この言葉はサイモンの心を破壊し彼を別の方向に走らせる。

 

賢人マニー

サイモンの兄マニーは最後の忠告者だ。登場場面は非常に短いが大きな投げかけをしている。

「そのあとはどうする?」

この言葉はサイモンが三部でジョニーに会う度に彼の心の中に何度も現れ、彼の理性を守り、試し続けた言葉だ。最終的にサイモンは顔を腫らしたジョニーを見つけたことで限界を超えてしまう。

兄マニーは精神科医だ。多くの患者をみてきただろう。サイモンの家族であるマニーは彼が彼らの家に帰ってくる日を待っているはずだ。

 

さいごに

思いつくまま気になったことをつらつらと書いてしまった。

『真夜中の相棒』は哀れな男たちの物語として、ブロマンスやゲイサスペンスなど色々な括りで語られ話題にのぼる。私が初めに興味を惹かれたのもその部分だったが、読み終わってみるとこれは心にどうしようもない傷を抱えてしまった人たちの物語だと感じる。

うまく社会生活ができず、助けをつかむこともできない。なぜテリー・ホワイトがこのテーマを書こうと思ったのか?彼女はヴェトナム戦争の傷跡が残る男達を多く描いている。当時のアメリカ社会の世相なのか、それとも彼女のそばに傷つく人がいたのか。そんなことを考えてしまう。ジョニーを支えるマックの疲労のリアルさ。慢性的な首すじのこり、食欲の減退、あきらめ、疲れ、ストレス、頭痛もある。実際に精神疾患の家族を支える人たちの身に起こることだ。

読み終わって一ヶ月以上経っているというのに、未だ彼らのことを考えてしまう。叶うなら、文藝春秋にこの本をもう一度再々販してほしい。気になった人が簡単に店頭やネットで買えるように、せめて電子書籍でもいい。

 

ぼんやりした青い瞳のジョニー、タバコを咥えた背の高いマック、鋭い目に悲しそうな顔をするサイモン、うまく生きることのできない3人の男たち。私は彼らをとても愛おしく感じている。